「新潮」1996年9月号は創刊1100号記念特大号である。
ほとんど全体が特集になっているのだが、巻頭には創刊1100号記念グラビア「この人と私」が載っている。これは、芸能人などの有名人と作家のツーショットを多数掲載したもので、作家による相手への思いがごく短い文でまとめられたもの。有名人と作家のペアは次の通り。井上陽水と山田詠美、羽生善治と沢木耕太郎、大竹しのぶと津島佑子、ダイナマイト関西と福田和也、中村吉右衛門と鷺沢萠、中川幸夫と柳美里、佐治敬三と佐伯一麦、ヨーガン・レールと水村美苗、沼尻竜典と奥泉光、ジョージ秋山と島田雅彦、吉永小百合と村上龍。
佐伯一麦と一緒に出た佐治敬三は、言わずと知れた元サントリー会長。ツーショットの撮影場所はサントリー大阪本社の屋上ビアガーデンである。
二人にどういう縁があったかというと、佐伯がデビュー前にサントリーの武蔵野工場(府中市)で働いていたのだ。そのことはグラビアに載っている短文に書いてあるのだが、ほぼ同じ内容のことが佐伯の『読むクラシック』(集英社新書、2001年)の「はじめに」にさらに詳しく書いてある。
(1996年)六月に、私は東北の田舎町から関西まで赴いて、サントリーの会長である佐治敬三氏と対面していた。それは、創刊一一〇〇号を迎えたある文芸誌の記念号のグラビア撮影のためだった。
以前、東京で暮らしていた頃、私はサントリービール武蔵野工場で働いて生計を立てていたことがあった。ちょうどデビュー作を執筆していた時期で、荷役作業をしたり、その頃発売したての樽生ビールの把手付けをしたりしていた。その通勤の満員電車の中で、ヘッドフォンステレオから流れる音楽(主にモーツァルトだった)に耳を傾けているときが、唯一の安らぎと思えたものだった。
ここで「デビュー作」とあるのは、「海燕」新人文学賞を受賞した「木を接ぐ」(1984年)だ。佐伯にはその前年に「かわさき文学賞コンクール」を受賞した短篇「静かな熱」があるが、一般的には「木を接ぐ」がデビュー作とされている。
「東京で暮らしていた頃」とあるが、「木を接ぐ」は「静かな熱」と同じく川崎市多摩区の稲田堤に住んでいた時に書かれたものだ。だからその時期にビール工場に行っていたとすれば、佐伯は、稲田堤からそこまで通っていたはずで、『読むクラシック』に「通勤の満員電車の中で」とあるのは、JR南武線で「稲田堤」から工場最寄りの「府中本町」まで行く中でのことだろう。しかし佐伯はそれ以前には東京に住んでいたから、東京都心の方から府中のビール工場に通っていた可能性もなくはない。
それにしても、佐伯と佐治のツーショットは面白い。お互いビールが入ったジョッキを持っていて、佐治はネクタイも締めてビシッとしているが、佐伯は山ごもりの画家か陶芸家のような、髪を垂らし髭を伸ばしたかなりラフなスタイルで、ちょっと緊張しているように見えなくもない。だが二人ともいい笑顔である。