杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

作家は自意識過剰か

昨日の記事で話題にした山田詠美対談集『メン アット ワーク』(幻冬舎文庫、2001年)の佐伯一麦との対談だが、前半に面白い箇所がある。

二人の話題になっている山田の『アニマル・ロジック』は書き下ろし長篇なのだが、長篇を書くのは飽きる、と山田が言うくだり。

佐伯 書き下ろしが飽きるのかな。
山田 そうかもしれない。
佐伯 何回でも元に戻れるし。
山田 そうね、長編だからというわけじゃない。連載で毎月書くという形だと飽きないでしょう。少なくとも私の読者は何人かいるという実感がないと。担当編集者と私しか知らないというのが、だんだんね……。最初は秘密を共有しているような感じなんだけど、苦痛になってくるのよ、これが。やっぱり自意識過剰なわけじゃない、小説書いているんだから。それなのに、あなたの小説は素晴らしい、と言ってくれる人が、たった一人しかいないのは、私にはちょっとつまんなかった。

多くの読者もおらず、長篇を発表したこともなく、連載を持った経験もなく、書き下ろしを出したこともないので私には山田の感覚はさっぱり分からない。けれども、小説を書いているんだからやっぱり自意識過剰、という山田の言い分を読んで、そうかぁ、そういうもんかなぁと思った。

大江健三郎の本にも、小説家というのは自分の秘密を語らずにいられず、一度語り始めると語り続けて倦まない人だ、と書いてあった。これは一種の自己陶酔家の側面だと思われ、すると小説を書く多くの人は強い自意識を持つ人なんじゃないかと思う。

自意識。いくら過剰でも構わないと思う。けれどもこんなこと書いたら人からどんな眼で見られるか分からない、とか、人から嫌われるんじゃないか、笑われるんじゃないかという思いが邪魔をして自分を曝け出せないようでは本物とは言えないだろうと思う。