杉本純のブログ

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「長老作家」と「小説家」

佐伯一麦『読むクラシック』(集英社新書、2001年)に「長老作家の葬儀に」という章がある。これは、一人の「長老作家」が亡くなり、その人を慕う編集者や小説家が葬儀を行った、という内容なのだが、実名が一つも書かれていないので長老作家や編集者や小説家が誰なのかが一切分からない。

しかし、記述の内容から、「長老作家」は八木義德、視点人物である「小説家」は佐伯本人だということが分かる。「長老作家」は「室蘭の田舎の旧制中学生だった」とあるが、八木は室蘭出身である。ちなみに八木は、室蘭区立武揚尋常高等小学校(現・室蘭市立武揚小学校)、北海道庁立室蘭中学校(現・北海道室蘭栄高等学校)を経て北海道帝国大学附属水産専門部製造科(現・北海道大学水産学部)に進み、その後早稲田大学に入っているが、それは土合弘光による年譜(『心には北方の憂愁—八木義德書誌』(八木義德書誌刊行会、2006年))を参考にした八木年譜(「企画展 文学の鬼を志望す 八木義德」図録、2009年)に書いてある。

また、「小説家は、機会を得て何度か長老作家の住む団地を訪れたことがあった」とあるが、佐伯は1983年に短篇「静かな熱」で「かわさき文学賞」を受賞し、選者だった八木が住んでいた町田市の山崎団地に何度も八木を訪ねている。

続いて、

四十八歳もの年齢差を越えて、彼(小説家:引用者注)は励ましを受け続けた。帰り際には必ず、若き日剣道選手として鍛えたという大きな手を差し出されての、心情の籠もった独特の力強い握手をされることによって。

とある。八木は1911年生まれで佐伯は1959年生まれ、また八木は北海道庁立室蘭中学校で四年生から剣道部の選手となったと、上記年譜にある。