杉本純のブログ

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佐伯一麦と「木を接ぐ」と毛筆

「新潮」2013年10月号の佐伯一麦島田雅彦の対談「文学渡世三十年」は、デビュー時期が一年違いの二人が語り合う面白い記事である。二人はデビュー時期が近いというだけでなく、川崎市の稲田堤に在住経験があるという点でも共通している。

さて対談冒頭で二人はお互いのデビュー時のことを語り合っているのだが、こんなところがある。

島田 当時の君は子ども三人を抱えてのアパート暮らしだった。結婚が早くて子だくさんという典型的ヤンキーのライフスタイル。経歴を聞けば、進学校の仙台一高を中退して電気工をやりながら、毛筆で私小説を書いている。アスベストを吸って、時々咳き込むところが無頼派みたいで、「何だ、このアナクロ野郎は」と思った(笑)。
佐伯 まあ、アナクロで何が悪いと思うけどな。

私はこの雑誌が出た時にこの記事を読んだが、上記くだりを読んだ時、佐伯のことを、たしかに毛筆で小説を書くなんて古風なこだわりを持った人だったんだなぁ、と思った。

ところが最近、佐伯が「木を接ぐ」でデビューした「海燕1984年11月号の「受賞のことば」を読み、毛筆で書いたのには別の理由があったことがわかった。

応募作は、仕事に出かける前の朝方に書き継いだ。前日長く振動ドリルを使った朝は、手の震えが止まらずペンがうまく握れない。そこで苦肉の策として慣れぬ筆を採用することにした。
(これじゃまるで年寄りの写経の図じゃないか)と自分の姿に苦笑させられたものだが、今憶い返してみると、両者にさしたる違いはないような気もする。

島田は佐伯と同じ「海燕」でデビューしたが、「経歴を聞けば」とあるし、初対面の当時はこの「受賞のことば」を読んでいなかったのだろうか。「アナクロ野郎」は「無頼派みたいに咳き込む私小説書き」を指摘しての言葉なのか。

それにしても、佐伯が対談前半でバブルが始まるくらいの時期に言及して「これからは、モノじゃなくてイメージを売るって言い方が流行った時代だよな。」と言っているが、今、私の周りでは「モノ売りからコト売りへ」などと盛んに言われていて、なんか、持て囃されるものってあまり大きく違わないのかなあと感じた。

記事の扉ページには2013年8月8日に「神楽坂BEER BAR Bitter」で行われた対談の写真が載っている。二人とも実に楽しそう。いいなあと思った。