杉本純のブログ

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蔵書始末記8 積読本

100冊超の積読本を手放した

買ってから長らく「積ん読」になっていたが、このたび部分的に読んだ。どうして読んだかというと、買った時から目次の中に気になっていた箇所があり、今回、その箇所に関連することを考える機会があったからだ。そのことは、目次が気になった時から半ば予期していた。「積ん読」は私にとって、しばしばそういう「後で必ず読むことになる確信」を伴うものだ。

かつては気取ってそんなことを言っていた私ですが、今回、多数の積読本を手放しました。

「後で必ず読むことになる確信」は、積読していた頃にはありましたが、その多くの本を、読む前に整理するべき事態になり、結局、読まずに手放すことになった次第です。

手放した積読本は、優に100冊を超えました。100冊以上の積読本を読まずに手放したことには、すっきりした気持ちもありますが、よくもまぁこんな無駄遣いをしたもんだな、という呆れもあります。いや、呆れの方がはるかに大きいし、呆れだけでなく、俺はなんちゅう馬鹿だったんだ…という悔恨に似た反省もあります。しかし、ではこれほどの積読をした原因は、いったい何だったのか…

理由は「いつか読みたい」

人が積読をする理由は、要するに「いつか読みたいから」でしょう。

(ネットを含む)書店をうろうろして、面白そうな本を見つけて買い、帰宅してぱらぱら目次などを読むものの、腰を据えて全篇読む気はなく、本棚に積んでしまう。ただし、胸の内では「いつか読みたい」という、願望のようなものを抱いているのです。

まだ読まないから積んどく。でもいつか読みたい。いつか読みたい。いつか。いつか…。

私が100冊超の積読をしたのは、だから「いつか読みたい」願望が100以上あったことになります。

「いつか読みたい」が100程度でストップすれば、私のこの先の人生は「いつか読みたい本」を100冊片付ければ、新しい展開を期待できます。しかし、積読本が片付けるより先に増えていくことは、これまでの経緯から明らかです。とすると、「いつか読みたい本」の数は増え続けるので、私のこの先の人生から「いつか読みたい」が消えることはありません。

山積した「課題図書」がもたらすもの

「いつか読みたい本」は、言い換えると「課題図書」です。私自身、学びたい気持ちが強いので、積読本は自ら選定した課題図書のようなものといえるでしょう。

だから積読本が100冊超あったということは、いうなれば100以上の課題が蓄積している状態でした。

今にして思えば、自分の生活空間に「課題」が山積している状態は、精神的に決して良くなかったですね。いつでも「課題をやらなくてはならない」という妙な義務感のようなものがあって、負担になっていました。

しかも私の場合、そういう状態にありながら、積読本は減るどころか増えていったのです。

これは「やらなくてはならない課題があるけどやらない。けど学びたい気持ちは止まらないから新しい課題図書を買う。でもそれも読まない」ということです。

やるべき課題が目の前にあるけど、取り組まない。それどころか課題はどんどん増えていく。こうなると、たまに時間ができた時も、何から手を着けていいかわからず途方に暮れます。私は、次第にそれら積読本から目を背けるようになっていた気がします。

部屋には多くの課題図書があるけれど、それを見ないようにして暮らす生活。これが精神的に良いはずはないのですが、私はこの悪循環ともいうべきものにはまりこんでいました。しかし私に限らず、積読本が減るどころか増える人は、同じように悪循環にはまりこんでいるのではないでしょうか。

教養人への憧れ

私の「いつか読みたい」への止まらない欲求の背後には、教養人への憧れがありました。すでにこのブログに何回か書きましたが、私は本を買い、書棚に置いておくことに満足していたところがあったように思います。

本を買い、書棚に置けば、少しだけ教養人への憧れが満たされ、満足を得られます。しかし、本当にその本に書いてある知識を吸収したわけではありません。知識を得たいならその本を読んで覚える必要があり、教養として活かしたいなら、覚えた知識を実践する必要があるでしょう。

もちろん、その気持ち自体はありました。いつか読みたい。いつか…。しかし「いつか」は来ず、ただ新しい本をせっせと買い込むのを繰り返していたということです。

「いつか」はない

「いつか」が来ることなどまずないので、積読をしている人はとっとと売るなり捨てるなりして手放すのが良いでしょう。

ただ、そんなことを言っている私ですが、このたび全ての積読を完全に手放せたわけではありません。ネックとなるのは、やはり古書です。古書は一度手放してしまうと再入手しづらいケースがあるからです。

神保町でもアマゾンでも、同じ古書をもう一度入手するのは難しいケースがあり、最悪の場合、読みたくなったら国会図書館に行くしかありません。それはあまりに手間なので、読みたい気持ちの強い古書はとっておきます。

けれども、今後は段階的に整理して、大事な古書も順次手放していきたい。正直にいって、これは時間がかかりそうです。断捨離を徹底的にやった結果、本当は断捨離したくなかった卒業アルバムを捨ててしまい後悔したという話を聞いたことがあり、私はそうはなりたくないなと思うからです。