杉本純のブログ

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島本理生「夏の裁断」

第153回芥川賞候補作

島本理生の小説「夏の裁断」を読みました。『夏の裁断』(文春文庫、2018年)所収で、初出は「文學界」2015年6月号です。

本作は同年上半期の芥川賞候補となりましたが、受賞したのは又吉直樹「火花」と羽田圭介「スクラップ・アンド・ビルド」です。島本理生は、たしかこの後「エンタメ小説を書いていく」といった宣言をX(当時はTwitter)でつぶやき、長篇『ファーストラヴ』(文藝春秋、2018年)で第159回直木賞を受賞しました。

作品を貫く冷たい金属感

さて本作。

ストーリーは、プロの小説家である萱野千紘が出版社の編集者である柴田と恋愛めいた関係になるものの、柴田の曖昧で身勝手な言動に翻弄され、精神的に擦り減っていくばかりか、柴田に隷従させられるまでになる、という異常な話です。

柴田の身勝手さはナルシシストということで片付けられるレベルではありません。専門的なことはまったくわかりませんが、これは回避性愛着障害なんじゃないかなと思いました。

千紘は柴田との関係に深く傷つきますが、最後は柴田と正面から向き合い、決着をつけるので、破滅するまではいきません。

なお本作のタイトルは、鎌倉にある亡くなった祖父の家で、学者だった祖父の蔵書を電子化するため、夏の間、断裁し続けるというサブストーリーから取られたものです。しかし、冒頭で千紘が柴田の手をフォークで刺すシーンや、柴田が異常に冷淡な男として描かれているところなどがあり、本作の雰囲気は「裁断」という言葉が持つ冷たい金属感に合っている感じがしますね。

島本理生私小説では?

すばらしい作品。

それにしても、主人公が女性作家であるところからして、恐らく本作は島本理生私小説ではないかと思います。なお私は本作について島本理生が語ったものを読んでおらず、そういうものがあるのかどうかすら現状まったく知りません。

私は瀬戸内寂聴の「夏の終り」という私小説が好きですが、本作の、男の抗いがたい引力に引き寄せられ、ずぶずぶと沼にはまりこんでいくような感じは、「夏の終り」で描かれた男女関係の泥沼を思わせる重さがあるように思います。

また、本作には千紘が過去に年上の男から性的暴力を受けたという話が出てきます。その話が、島本の『あなたの呼吸が止まるまで』(新潮文庫、2011年)に描かれたエピソードを思わせ、興味深い。『あなたの呼吸が止まるまで』も恐らく私小説なので、二つの作品はつながっていると考えられるのです。こういうところが、私小説を読む醍醐味の一つなのです。