杉本純のブログ

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島本理生『夏の裁断』

書き下ろしの短篇を含む文庫オリジナル

島本理生の小説集『夏の裁断』(文春文庫、2018年)を読みました。本書の最初に収録されている「夏の裁断」の感想はこのブログの一つ前の記事で書きましたが、本書には同作の後日談となる書き下ろしの短篇「秋の通り雨」「冬の沈黙」「春の結論」が収録されています。「夏の裁断」に関連がありながら、同作の単行本には入っていない書き下ろし三篇が読めるこの文庫は魅力ある一冊といえるでしょう。

というわけで、「夏の裁断」の感想は一つ前の記事に書きましたが、この記事では書き下ろしの三篇を含む全体の感想を書きたいと思います。

以下、ネタバレを含む内容になっているので、未読の方は承知の上でお読みください。

萱野千紘の再生物語

小説集『夏の裁断』は一言で言うなら、女性作家である主人公・萱野千紘が柴田という男性編集者との関係に深く傷つき、その後再生する過程を描いた小説集です。

「夏の裁断」

最初の「夏の裁断」は、柴田との関係で傷つく過程が描かれた中篇です。この作品のことは前回書きましたので詳細は省きますが、主人公の千紘が、女を翻弄せずにはいられないといった性格の、人格障害があるのではないかと思わせる編集者・柴田の身勝手な言動に消耗する話です。本作は恐らく島本理生私小説ですが、抗いがたい、柴田の引力のような力に千紘が翻弄されて苦しむ姿は、男女関係の辛さの本質を抉り出しており、重い読後感があります。しかし、これが文学というものではないかと私は思います。

「秋の通り雨」

二作目の「秋の通り雨」は、柴田との関係を断ったものの、傷が完全には癒えていない千紘が、いくたりかの男と逢瀬をして、その一人である清野(せいの)との関係を深めていく話。舞台は「夏の裁断」と同様、千紘の死んだ祖父の家がある鎌倉で、清野とは焼き鳥屋で会い、千紘はその日のうちに清野とセックスをします。

清野はスーツ姿で登場し、明らかに会社員なのですが、詳しい素性はおろか、どんな仕事なのかもよく分かりません。外見は少年っぽさを残しているものの、詳細には描写されておらず、印象は薄い。正直に言って、小説の登場人物、なかんづくキーパーソンとしての魅力は感じられません。

千紘は、付き合いはしませんが、清野と何度も会います。清野は、外見や中身だけでなく、話す内容も分かりづらい人物です。「もともと愛とか恋とか、そういうのはあまり必要としていない人間なんだと思います」などと言い、千紘に対する思いを明確に示すこともありません。千紘によく連絡をし、何度も会ってセックスもしますが、それ以上の関係にはならないのです。とはいえ、単に体目当てというわけでもなく、優しくもしてくれます。ある意味では柴田のような身勝手な男ですが、千紘は柴田のように消耗させられることはなく、不思議な温かさを感じます。

そして、柴田との辛い思い出を忘れていたことに気づいた千紘は、東京に戻ろうと決心をします。

「秋の通り雨」は、清野との逢瀬が淡々とした筆致で描かれていて、それがわりあい平和なものであることもあり、「夏の裁断」ほどのインパクトはありません。

「冬の沈黙」

三作目の「冬の沈黙」は、東京に引っ越した千紘が、清野と別れようと決心するまでを描いています。

東京に移った千紘は、作家業を再開し、以前に肉体関係があった男と会って話したり(セックスはしない)、柴田との関係に悩んでいた頃に相談していた教授に会ったりします。

もちろん清野とも会いますが、清野とのどっちつかずの関係に耐えられなくなり、「私、もう、きついです」と言って、もう一歩踏み込んだ関係になろうとします。そうとは書かれていませんが、平たく言えば、きちんと付き合いたい、という要求をするのです。

清野は、またもや曖昧な返答をして、踏み込もうとする千紘を拒絶して千紘の家から去ってしまいます。千紘は泣きじゃくり、清野に心の中で別れを告げます。

「冬の沈黙」はごく短い作品ながら、清野との別れを決心するあたりで、千紘は前進しながらもまた不幸になるのか、といった思いをさせられるところが印象的です。

私は、けっきょく男女の関係というのは平等とか公平とか言うことなどできず、傷つけ、傷つけられることの繰り返しなのかな、と思いました。

「春の結論」

最後の「春の結論」は、千紘が清野とけっきょく別れず、曖昧なところを残しながらも関係を継続することにする過程が描かれた話です。

千紘は出版社の五十周年の企画で東アジアの国を舞台にした小説を書くことになり、現地に滞在するため英会話を習うなどの準備をします。

ここで一つ印象的だったのは、千紘が英会話の教師であるアレシアから「あなたは喋っているときに考え込むくせがある」と言われ、短くてもいいから言葉のキャッチボールをするよう指摘されるところです。特に印象に残る場面ではありませんが、私は、こういうところに千紘の心の傷や作家らしい気質が表されているのではないかと思いました。

清野はしばらく出てこず、千紘は、ある行動に出ます。過去に千紘に性暴力を振るった磯和という男に会いに、地方の街に行くのです。「真珠で有名な海辺の町」とあるので、鳥羽かなと私は思いました。

千紘は、磯和がいるダイニングバーに行き、店員の母娘がいる前で、磯和の過去の行為を曝露します。これは千紘にとっては決死の行動でしたが、認めさせ謝罪させるといった展開にはならず、千紘は曝露だけして店を出ます。

その後、清野に連絡を取って会いますが、磯和とのことを話したりはしません。逆に、清野には「私の中にかたく守られた領域があることに対する、礼儀正しさ」があることに気づきます。清野とはいつか別れるかもしれないけれど、それは今ではないと思うに至ります。別れずに済んだわけです。

後日、清野に誘われ、ある建物の解体現場に行きます。詳しくは書かれていませんが、どうやら清野は孤児院か何かを思わせる「施設」の「卒園生」であることが分かります。そこのOBとして、今は仕事以外の時間にボランティアとして働いているらしい。

このくだりは、これまで分からなかった清野の素性がわずかに明かされる場面です。清野が自分の内部を千紘に明かしたという意味を持つので、二人の仲は一段深まったと解釈できます。

最後は、千紘が小説の仕事のために日本を発つ場面です。新たな人生の門出のように描かれており、全篇を通して最も明るい箇所になっています。

傷つけ合い、痛みを抱えて生きていく

先に「萱野千紘の再生物語」と書きましたが、本作は決してハッピーエンドではありません。いや、ハッピーエンドと言えるのかもしれませんが、その後ろには癒えていない傷があまりに多くあり、今後いつその傷がまた開かれるかも分からないという不安を感じさせます。

傷を抱えているのは清野も同じであり、さらに深く考えると、柴田だって抱えているのかも知れません。

けっきょく、人間というのはいつでもどこでも傷つけ合い、その痛みを抱えて生きるのです。『夏の裁断』は広く読まれるべき小説だと思います。