杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

自分は小説を書くことに向いているか、という問題

若い内に確信するのは難しい?

以前あるライターが、自分は学生時は小説を書いていたが、社会人になってライターをやり、小説よりもライターの方が向いていることが分かった、と話していました。

小説家志望だったのがライターになる、というなら私も同じですが、私は長年ライターをやった今でも小説を書いていきたいと思っているので、その話をしてくれたライターとは進む道が大きく別れた…と思いました。

小説家志望だったのがライターの道に入り、その方が向いていると思って邁進していくことそのものは、間違っているわけでも悪いわけでもありません。自分の人生において職業をどう判断し、どう生きようが自由ですから。また、立花隆のように文学からノンフィクションに転向して成功した例もあるし、詩をやった後に実業に転じて財を成した人もいます。文学を諦めて正解だった人は少なくないでしょう。

ただ私はそのライターの話を聞いて、一抹の疑問が頭に残った。そのライターは二十代ですが、自分と小説の関係を結論づけるのはちょっと早過ぎやしないかと。

若くして小説家としてデビューする人はいますが、遅咲きももちろんいます。松本清張は『西郷札』でデビューした時、すでに四十歳を過ぎていました。二十代でデビューする人は華々しいですが、その後を書き続けられなくて消えていく人もいます。大江健三郎は学生時代に「奇妙な仕事」を書いてデビューしたものの実社会を知らずに書くのは大変だから苦労したらしいし、谷崎潤一郎は四十までは練習だった、と述べたそうです。皆それぞれ紆余曲折があり、それぞれに小説を続けることに苦悩したのではないか。小説家になって後悔したこともあったろうし、二度と書きたくないと思ったことだってあるかも知れない。つまり、自分は小説を書くことに向いている、と若い内に確信できた人など少ないのではないか。そんな風に思います。

結論は最後まで出ない

どうしてそんな風に思ったかというと、私自身は二十代三十代に我武者羅に小説を書いてきましたが、年齢を重ねるごとに小説への態度は変化し、前より四十代である今の方が小説のことがよく分かる気がする、という体験をしているからです。それは恐らく、若い頃より少しは社会を俯瞰的に見られるようになったことと関係しています。

我武者羅だった若い頃に抱いていた小説への情熱は、エネルギーが満ちていたとは思うものの、自己中心的で盲目的だった。視野が広くなるにしたがって、人間て色々だなぁ、馬鹿で助平でどうしようもないなぁなどと思うに至り、でもそれが面白い、そういう愚かな人間の話を書きたい、と思う気持ちが強くなっています。以前の私は、どちらかというと自分のことを人に言いたいだけだったような気がします。

向いている・いないを考えても、かつての自分は向いていると確信していた、というより確信したい願望が強かった、という方が正しい気がする。そして逆に、昔ほど我武者羅でない今の方が肝が据わってきている気がしたりする。自分が小説に向いているかどうかの結論は簡単には出ないと思います。まぁ元々、「関係」などというものは最後まで結論は出ないものですが。