杉本純のブログ

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佐伯一麦と大江健三郎

佐伯一麦の「一麦」というペンネームは、ゴッホが麦畑の絵を多く描いたことに由来している。このことは色んなところに書かれているが、『蜘蛛の巣アンテナ』(講談社、1998年)に収められている「ペンネームについて」には、この名前に関する大江健三郎とのエピソードも紹介されていて興味深い。

「一麦」の読みが「かずみ」であることを述べた後、こう続く。

 アンドレ・ジイドの小説に『一粒の麦もし死なずば』があり、周知のようにこれは聖書の一節からとられているものだから、ときおり信仰との関わりを問われることがある。大江健三郎さんに初めてお目にかかったときにも、仙台市内のカトリック団体である「一麦会」との関係を聞かれて、思いがけない暗合に目を白黒させた覚えがある。

私が知る限り、佐伯が大江に言及するのは珍しいことである。佐伯と大江との接点として思い浮かぶのは、まず『ア・ルース・ボーイ』で三島由紀夫賞を受賞した時(1991年)で、その選考委員の一人が大江だった。もう一つは「ショート・サーキット」で野間文芸新人賞を受賞した時(1990年)で、大江は野間文芸賞の方の審査員をしていたのだが(この時の受賞作は佐々木基一「私のチェーホフ」)、贈呈式は野間新人賞も野間賞も共に帝国ホテルで行われたので、二人がそこで顔を合わせた可能性は十分にある。「初めてお目にかかった」とあるが、佐伯が三島賞か野間新人賞より前に大江に会う機会があったとは考えにくいので、「一麦会」のことを聞かれたのはそのどちらかの時だと推測する。

ちなみに「ショート・サーキット」は芥川賞候補にもなっていて、その選考委員の一人が大江である。また佐伯は1988年に「端午」でも芥川賞候補になっているが、その時は大江は選考委員ではない。さらに佐伯は1987年に「雛の棲家」で三島賞の候補になっていて、大江は選考委員の一人である。候補になって受賞しなかった作家が贈呈式やパーティーに行くことってあるんだろうか…。あれば、その時に会っていた可能性はあるが。