『一私小説書きの日乗』と佐伯一麦
購読しているブログに佐伯一麦と西村賢太に関する記事があり、二人の関係(というより、西村が佐伯をどう思っているか)について書かれていたので、西村の『一私小説書きの日乗』シリーズを手に取りました。
私は佐伯と西村にはほぼ接点がなく、二人は互いに無関心だったのではないかと思っていたので、西村の佐伯への思いを知ることができ、収穫がありました。
『一私小説書きの日乗』(文藝春秋、2013年)の2011年12月16日(金)の記述(抜粋)。
夜七時半過ぎに帝国ホテルへ。
野間三賞の、パーティーの方に参加する。
入口のところで『小説現代』の柴﨑氏と合流。会場に向かうロビーのところで、けったくそ悪い初老の無能作家とすれ違う。
柴﨑氏、その文壇遊泳術のみに長けた男芸者に深々とお辞儀をし、向こうも軽く頭を下げてきた瞬間、自分は傲然と胸を反らす。で、数歩進んでから聞えよがしに、「今の、随分と小男だねえ」と言ってやる。気分良し。
会場で、先輩作家として敬している佐伯一麦氏に、丸四年ぶりにお会いする。こちらの体のことを心配して下さり、大恐縮。
『一私小説書きの日乗 新起の章』(本の雑誌社、2018年)の2018年2月15日(木)の記述(抜粋)。
KADOKAWAの山田氏と、「志満金」で打ち合わせ。
あのケチなKADOKAWAが、此度も壜ビールと白鷹の冷酒を振舞い、白焼き(小)と肝焼き、うざく、鮪のお造り、鴨焼きなぞをあてがってくれる。
何やらそれだけで充分にお腹一杯になってしまったので、今回は鰻重は割愛し、「風花」に流れる。
深更、佐伯一麦氏が六、七人の編輯者らしき一群と入ってこられる。四、五年ぶりの邂逅。
その編輯者と覚しき一群(の中の、自分よりも年上らしきいかにも無能な感じの一人は、どこかでに、三度見かけた気もするのだが、どこで目にしたのだろう?)が解散したのちも、佐伯氏は一人残って下さる。これ幸いと、話し込まさせて頂く。
いろいろと、有難き一夜。
スポンサーリンク
西村は佐伯を敬愛していた
このブログの過去記事「佐伯一麦と西村賢太」に書いたように、佐伯と西村は2007年に野間三賞の授賞式で会っています。佐伯は『ノルゲNorge』で第60回野間文芸賞を受賞し、西村は『暗渠の宿』で第29回新人賞を受賞しました。
上記の「日乗」2011年12月16日に「丸四年ぶり」とあるので、前に会ったのは間違いなく2007年の野間三賞授賞式でしょう。
一方、2018年2月15日の方には「四、五年ぶり」とあり、すると二人は2013年か2014年に会っていたかもしれません。これは「日乗」のどこか、あるいは佐伯の随筆のどれかに記述がある可能性があります。
私は上述の通り、二人は互いにほぼ無関心だったのではないかと思っていました。佐伯の文章には今のところ西村への言及が見当たらず、これは不思議なことですが、少なくとも西村は佐伯を敬愛していたのです。
西村は『雨滴は続く』で自分の私小説を「野暮な作風」と書いていましたが、では野暮でない作風は誰かというと、佐伯ではないかと私は考えていました。ただし、もしそうなら西村は佐伯の私小説を「粋」とか「洗練されている」と、皮肉を込めて思っていたのではないかと考えていましたが、皮肉ではなかったことになるでしょう。
それにしても、2011年の野間三賞での「けったくそ悪い初老の無能作家」は誰か。また2018年に佐伯と一緒に「風花」に入ってきた「編輯者らしき一群」とは…。