『光の闇』を高評価
昨日に続き、佐伯と西村のことを書きます。
『一私小説書きの日乗 憤怒の章』(角川書店、2013年)の2013年4月28日。
午後十二時起床。入浴。
三時間程を部屋の掃除に費す。
その後、近所の蕎麦屋にて、天丼と冷やしきつねそば。
帰室後、佐伯一麦氏の最新刊『光の闇』(扶桑社)を読む。
八篇の連作短篇私小説集。硬質でありつつ、しかししなやかな、その独得の文体にはいつもながら唸らせられる。
夜九時、室にてサッポロ一番の“塩”を煮て、バターを一片落としてすすったのち、少し寝る。
深更一時、再び入浴してから机に向かいて、『歪んだ忌日』のゲラ。
佐伯氏の端正な御作を読んだあとのせいか、自らの愚作のどうしようもなさが、つくづくイヤになってくる。
なので、まだ戻しに余裕があるのを幸い、冒頭作の「青痣」の見直しを中途で投げだし、田中英光の『全集』第七巻に手をのばす。
英光の文法も句読点も全く破格な、体ごと一気に押しまくってくる文体に接すると、また自分も自分なりのド下手な小説に取り組んでみようとの勇気が湧いてくる。
前日の記述を見ると、午後にテレビの収録をした後、サウナを2時間以上利用し、帰った後3時間ほど眠り、「明け方」に酒とつまみや蕎麦を食って再び寝たようなので、起きたのは「午後零時」の間違いかと思います。
それにしても、『光の闇』と佐伯の文章をかなり高評価しているのは間違いありません。
手元の『光の闇』を見ると、初版発行が2013年4月30日とあります。西村がどうやって『光の闇』を手に入れたかは、『日乗』の記述からは不明。
私は『光の闇』をすべて読んではいませんが、これは「欠損感覚」を主題とした短篇集で、「二十六夜待ち」はすばらしい作品だと思っています。
それにしても、『日乗』の中には「蕎麦」という語がよく登場します。「佐伯一麦」という名前を探していると、ときどき「蕎麦」で眼が止まります。