杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

西村賢太の「敷居が高い」

ある意味で衒学的

西村賢太の短篇「菰を被りて夏を待つ」(『無銭横町』(文春文庫、2017年)所収)は、北町貫多を主人公とした私小説です。文章は主語が「私」でなく「貫多」と三人称で、貫多が横浜から要町の安アパートに引っ越してきたニ十歳頃のことを描いています。

貫多は中学生の頃から神保町の古書店に行くようになり、自分でいっぱしの「通」を気取るようになった、という箇所の後に、こうあります。

地下鉄を九段下でおりた貫多は、“通”らしく当初よりアタリをつけた、些か敷居の高そうな(この使いかたは誤用だが)その店を一直線に目指して靖国通りを進み、首都高の下の俎橋を渡って神保町へと入ったが、その経路を辿れば、やがて右側には芳賀書店本店のビルディングが立ち現れることになる。

「敷居が高い」をわざと誤用し、カッコを付けてそれが誤用だと断っています。

以前読んだ本に、「すべからく」をわざと誤用し、その直後に「おっとこれは誤用で」と書いていた本がありましたが、それを思い出しました。

一般に間違いやすいと言われる語をわざと間違えて見せて、その直後に誤用だと明かすので、ある意味で衒学的と言えるでしょう。あまり真似をしたくはありませんが、言い回しの技術の一つだとは思います。