杉本純のブログ

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映画『ロスト・キング -500年越しの運命-』を観た。

実話を基にした映画

映画『ロスト・キング -500年越しの運命-』を観ました。

2022年のイギリス映画。日本では今年9月22日に公開されました。

映画館で新作を観たのは久しぶりで、しかも家族に付き合う形でない観賞となると、もう何年ぶりのことだか…。『星の子』以来か。どうしてそんな貴重な機会にこの映画を選んだのかは、後で述べたいと思います。

監督はスティーヴン・フリアーズというベテランの監督ですが、他の監督作品を私は恐らく観ていません。主演はサリー・ホーキンスという女優で、『シェイプ・オブ・ウォーター』という映画や他にもいっぱい出ているようですが、私はこのたび初めて観たと思います。ホーキンスは1976年生まれなので、私の3歳上になります。

映画は、イングランド王リチャード三世が死んだ15世紀から500年以上も不明だったリチャード三世の埋葬場所が2012年に発見されたという実話に基づいた作品です。

リチャード三世は悪王ではなかった?

本作について書きたいことはたくさんありますが、まずはリチャード三世への興味からこの映画を観ようと思ったことを書きたいです。

リチャード三世というと、まずシェイクスピアの戯曲があります。私は恥ずかしながらこの作品を未読ですが、作品内でリチャード三世は悪王として描かれているらしい。Wikipediaを参照すると、悪王の評判はテューダー朝によって着せられた汚名であるとして、これを雪ぎ、名誉回復を図ろうとする歴史愛好家がいるらしいです。

ジョセフィン・テイのミステリ『時の娘』(ハヤカワ文庫、1977年)は、リチャード三世が本当に悪王だったのかという問いの答えを歴史書をひもといて推理する作品。私はたしかこのミステリのことを、小谷野敦『リチャード三世は悪人か』(NTT出版、2007年)を通して知ったと記憶しています。それでこの小説を読もうと思って買いましたが、一時期は我が書架の一隅を占めていたものの、読まずに売ってしまいました。

私が『時の娘』や『リチャード三世は悪人か』に興味を持ったのは、恐らく十年くらい前。私は当時、ゲーテの戯曲『鉄の手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』に関する評論を、当時所属していた同人誌に書こうとしていました。ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンは中世ドイツに実在した騎士で、「私闘(フェーデ)」という自力救済を口実に強盗や追いはぎを繰り返した乱暴な男だったそうですが、ゲーテは中世の法制度を研究する過程で知ったゲッツを、悲劇の英雄として美化して戯曲の主人公にしました。

私はこのような、史実と創作の間に起こる価値転換みたいなものに興味を持ち、いろいろ調べるうちに『リチャード三世は悪人か』に辿り着いたのだと思います。詳しい経緯は忘れましたが、たしかそんな流れでした。

結局、私はいろいろあってゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンとゲーテの戯曲に関する評論を完成させられませんでした。時間が経ち、評論を書く過程で興味を持った『リチャード三世は悪人か』や『時の娘』への関心も薄れていきましたが、リチャード三世は悪王ではないという説があることは頭の片隅に残っていました。

そしてこのたび、映画館に行く余裕ができたので適当な作品を探していたら、この『ロスト・キング -500年越しの運命-』を知って、よし観てみるかと思った次第です。リチャード三世に関する記憶が関係したのは言うまでもありませんが、事実を追究する、という主人公の生き方に共感や憧れもありました。

リチャード三世とハンチバック

主人公はフィリッパ・ラングレーという会社員の女性。会社では新しいプロジェクトチームの一員に選ばれず、夫とは不仲であるだけでなく夫は外に女をつくってもいます。仕事も家庭も不如意な、辛い状況の女性ですね。そのラングレーが、息子とシェイクスピアの『リチャード三世』を観たことをきっかけに、リチャード三世に興味を持ち、埋葬場所の発掘と名誉回復に貢献する、というストーリーです。ちなみに、プロジェクトチームに選ばれなかった原因の一つらしいのが、筋痛性脳脊髄炎という病気です。

また、リチャード三世は脊柱が曲がる脊柱側弯症を発症していましたが、映画ではそのことを「ハンチバック」という言葉で表していました。ハンチバックといえば、市川沙央の芥川賞受賞作が思い浮かびます。

さて、ラングレーの人生は、息子と観た『リチャード三世』によって大きく変わったわけです。それからのリチャード三世顕彰は決して楽ではなく、埋葬場所の発掘資金もクラウドファンディングで集めるなど、かなりの苦労がありました。さらに、埋葬場所を発見した功績も、最初は、発掘事業に少ししか協力しなかったレスター大学にかすめ取られてしまいます。

映画の最後に流れる字幕の解説では、ラングレーが正当に評価されたことが書かれていましたが、それは映画のストーリーよりも何年か後のことだったようです。

それでも歴史の真実を真摯に追究し、学者や大学の人に批判的に見られながらも自説を曲げずに取り組むラングレーの姿には胸を打たれました。

学問の喜び

しかし、明らかにシナリオに瑕があると思った箇所が一つありました。『リチャード三世』の観劇をした時のラングレーの様子が、その後の破天荒な顕彰作業につながるような衝動を感じさせなかったことです。

映画の設定としては、ラングレーはリチャード三世に「正当に評価されていない人」という、自分との共通項を見出したことが、顕彰作業の動機と情熱につながったわけですが、私が観た限りではそのシーンにそのような説得力はありませんでした。

また、ラングレーは大学は出ていないようで、失礼ながら、映画で観た限りでも中世の史実の追究ができるような学問的な素地のある人には見えませんでした。そういう人がこれほどの仕事を決意し、実際に行動に移したことが、ちょっと納得しにくかったと言えなくもないです。とはいえまぁ、これは実話なので、その点は否定のしようがないわけではありますが。

このように、いくつか疑問の残る映画ではありましたが、実話を題材にした映画ということもあって、アメリカのエンタメ映画のようなヘンテコな設定も展開もなくて安心して観られたし、面白かったですね。

また、月並みながら、やっぱり学問や研究というのは知的営みとしていくつになっても重要だし、その喜びが人生を充実させるのだなぁ、と思いました。ちなみに、ラングレーが患っていた筋痛性脳脊髄炎という病気は、慢性的なストレスが原因らしい。これは単なる想像ですが、やはりラングレーはもともと知的で聡明な人なのだと思います。