杉本純のブログ

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ゲーム遍歴3 ゲームボーイ2

一日30分まで

ゲームボーイを手に入れた経緯は前回書いた通りです。私の親は、ゲーム機を買うことを許してくれたとはいえ、依然として保守的で厳しかったこともあり(この「厳しい」という表現は、実はあまり適切とはいえない面もあります。ある意味では極めて「甘い」親であったともいえ、きちんと伝えるには説明を要します。それはまた別の機会に)、遊んでいい時間は一日30分までと決められていました。

私は学校から帰った後の時間や夕飯の後などに、30分間夢中になってゲームをやりました。そして、私の兄もよくやっていたと思います。ファミコンがないことに不満を感じていたのは、兄も同じだったのです。兄はたしか「サッカーボーイ」というソフトを自分で買っていました。

前回の記事にも書いたように、私は「魔界塔士Sa・Ga」や「北斗の拳 凄絶十番勝負」を夢中になってやりました。他にも挙げると、「ロックマンワールド3」、「ネメシス」、「Sa・Ga2 秘宝伝説」、「時空の覇者 Sa・Ga3 [完結編]」などが印象に残っています。

いつ頃から買い始めたか覚えていませんが、「ゲームボーイマガジン」という雑誌がありました。たしかA5判の小さな冊子でしたが、ゲームをしない時間はこれを夢中になって読んでいました。「三国志」というソフトを紹介するコーナーで、どこかの国の軍師が君主に対し「てきはきょうだいですぞ」と助言している画面が掲載されていて、そのキャプションに「これは『兄弟』ではなく『強大』という意味」という説明が書かれていたのが今も記憶にあります。妙に面白かったのです。

一日30分という縛りは、最初は大丈夫だったものの段々と物足りなく感じるようになっていきました。子供だったし、当たり前ですね。親の目を盗んで遊んでいたことは、もちろんありました。我が家では大晦日はいつも紅白歌合戦を見ていましたが、その日に限り、ゲームはたしか無制限でした。私はテレビを見ている家族から離れ、自分の学習机で一人ゲームボーイを夢中になってやっていました。居間に戻り、ずっとゲームをやっていたと言ったら呆れられ、怒られた年もありました。

 

その後ゲームボーイはカラーバリエーションが加わり、私は母に赤色の本体を買ってもらいました。それも夢中になってやりましたが、ゲームボーイそのものが下火になっていったこともあって、やがて卒業しました。