杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

失敗を積み重ねる

自分探しと効率追求

先日、ネットで人生や仕事に関する記事を読む機会がありました。

人生に関する記事は、学生から「自分探し」をしているという話をされたある大学の先生が、自分探しはやってはいけない、という持論を述べる内容でした。仕事に関するものは、ある企業経営者が、稼ぐ前から効率的に稼ぐ方法を考えてはならない、とにかく小さい行動を積み重ね、失敗を積み上げていく中で考えろ、と述べる内容でした。

二つの記事を読んで漠然と感じたのは、それらの記事は要するに同じことを言っているのではないか、ということでした。

人生においても仕事においても、最良の結果を思い描いて考えるだけでは駄目で、今の自分を起点にして行動をまず開始し、失敗を繰り返して軌道修正しながら進んでいくしかないんだ、ということを述べているような気がしたのです。つまり、自分探しと効率追求はともに良くない、ということです。

齧り付いてでも…

小説を考え、書く場合にも同じことが言えます。小説教室や小説の書き方本でよく言われるのは、まずは最後まで書き上げるのが大事だということ。そうだと思います。未完の傑作よりも最後まで書かれた凡作の方が、直すことで次に進めるからです。

未完の作品というとカフカの『城』やバルザックの『農民』や夏目漱石の『明暗』などがあり、これらは出版されて売れていますが、ワナビが未完の作品を売ってもまず誰も買わないでしょう。

小説を構想していると、これは傑作になるぞ、と思うことがしばしばあります。しかし書き上げられなければ傑作どころか作品にもなりようがないので、傑作だろうが凡作だろうがまず書くことが大切です。とにかく机に向かい、原稿用紙に齧り付いてでも書くこと。それ以外に物書きが前進することはありません。

書く中では、語句やパラグラフはもちろん、時には一章まるまる、最悪だと一から書き直し、なんてことも起きます。それは辛いことですが、完成に到達するにはそういう失敗を積み重ねるしかないということです。