杉本純のブログ

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バルザックと唯物論

バルザック『ゴプセック 毬打つ猫の店』(芳川泰久訳、岩波文庫、2009年)の訳者による解説「化石と手形」を読んでいて、唯物論的なバルザックの世界観について書かれている箇所があった。

 建物の外観、室内の装飾、家具、調度品、人の身につけている服装、所作や身振り、顔つきや表情、さらにはその人の名前にいたるまで、そこに見えてあるものには、読み解かれるべき意味が託されているということなのです。まさに一つの化石の破片から、そこにはじかに見えてはいない動物の全体像が復元されるように、主人公の住む建物の壁の一個のモザイク片には、そこに住む人物の、さらにはその人物が属している社会的集団の何かが解読されるべく託されているのです。

読み解かれるべきか、解読されるべきかどうか、分からないが、目に見えるものは全てそこから「何か」を読み取ることができる、と言えると思う。推理の巧い人が服装や言葉遣いから相手の内面すら読み解いていくのは、まさに、ここにあるような物の見方をしているからだろう。

鹿島茂青木雄二との対談「『ナニワ金融道』とバルザック」で、バルザック唯物論を徹底して追求した作家だと言っている。小説を考える上でも書く上でも、唯物論的な考えを忘れないでいたいものだ。