杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

担保としての「実直さと才能」

古今東西にわたり価値を持つ

バルザックの短篇「ゴプセック」(『ゴプセック・毬打つ猫の店』(芳川泰久訳、岩波文庫、2009年)所収)を読んでいます。その前半に、主人公である高利貸のゴプセックの、いわゆる「人的資本」に関する考えが語られている箇所があり、考えさせられました。

ゴプセックは抜け目ない高利貸ですが、語り手である代訴人デルヴィルにお金を貸す時、まだ若いデルヴィルには担保になるものが無いにも関わらず貸すことを決め、次のように言います。

「代訴人どの、覚えておいてほしいものだが、なにしろ一杯食わされないために知っておく必要があるのは、三十前の人間なら実直さと才能がまだ一種の担保となる。ところが、この歳を越えると、人間はもはや当てにできないってことさ」

要するに、若い人は実直さと才能があれば、それが担保になり得るということです。つまり、若さや実直さは、それだけで立派な「人的資本」だということでしょう。

以前このブログで、青木雄二の『ナニワ金融道』のエピソードを引き合いに出した「「真面目さ」は人的資本」という記事を書きました。

帝国金融の社長は、保証人の候補になっている男が真面目でよく働くことを評価し、400万円ものお金を貸すことに決めます。保証人の背口という男はもちろん若く、経営する運送屋を大きくしたいという目標に燃えています。

ナニワ金融道』は現代を舞台にした金融漫画ですが、十九世紀パリを舞台にした金融小説である「ゴプセック」でも、お金を貸す側にとって、相手の真面目さ(実直さ)が貸す・貸さないの判断のポイントになっているのです。「真面目」であることは、古今東西にわたり高い価値を持つ、ということです。