杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

小説家は映画俳優

鈴木輝一郎先生のインタビュー記事。朝の通勤電車の中で読んだ。

小説家はたいてい、読者から拍手喝采を浴びない。その点で、舞台で演技する舞台役者ではなく、カメラの前で演技する映画俳優だという。

作品が複製され、全国とか世界にまで同じものとして行き渡る点でも、映画と小説は似ているかもしれない。舞台は基本的に生(なま)だから、お客さんは劇場に行かなくては観ることができない。舞台の様子をDVD化したものは、もはや舞台ではなく別の商品ということになると思う。

宮原昭夫は『増補新版 書く人はここで躓く!』(河出書房新社、2016年)で、読書は音楽に譬えたら演奏で、小説の文章は楽譜だと、小沢信男の言葉を引いて述べている。

つまり、小説家は演奏者ではなく読者が演奏者であり、小説家は楽譜をつくる人、といったことになるか。読者が小説の感動を味わうのは机の上とか蒲団の中で、小説家がパフォーマンスをするのもこれまた自分の机の上とかである。その間に編集やら印刷やらの工程が介在している。

今は小説を発表する媒体種が多いと思うが、その前提は変わっていないと思う。