杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

目的と手段を混同しない

佐伯一麦は若い頃、小説家になろうとして「書く仕事」を探し、フリーライター事務所に勤めていた。だが、夜遅く帰った自宅の部屋に置かれた机に書きかけの小説の原稿が積まれているのを見て、自分は小説をやろうとしているんじゃないのか? と考えるに至り、ライターは終わりにすることにして事務所を辞めた。目的はあくまで小説を書くことだった。「書く仕事(フリーライター)」に就くことは手段に過ぎなかったのだ。

ライターをやる人に小説家志望者は少なくないが(私もその一人)、その人の目的はあくまで小説を書き、発表することであってライターをやることではないはずである。

が、「書く」という行為が共通しているので両者を履き違えやすく、結果、ライターを目指し、なったら全力で書き、続けるために頑張り、いつしかそちらが目的化してしまうという、目的と手段が入れ替わった事態になってしまうのである。

中には森ビルの森稔のように、小説のネタを探して入った不動産の世界にどっぷり浸かってすっかりその世界の人になる例もあるだろう(森稔が実際にそうだったのかは分からないが、そういう人はいると思う)。それはそれで良いが、長いこと続けて「こんなはずじゃなかった」となるのは損である。目的と手段を履き違えてはいけないと思う。