杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

こんな人間もいるんだぞ。

小説は、天下国家を論じる大説の対義語であり、巷間の噂話、小さなお話といった意味を持つ。話である以上、人間たちの間に起きる出来事を通して、人間同士の関係が変化する、といったまとまりのある内容であることが肝要だと私は考えている。一人で漠然と哲学的なことを考えたり、特に人間関係が変化したりしないようなものは、小説というより随筆だろう。

出来事は、連なって一つのストーリーを成す。その推移は、分かりやすく言えば事件が解決するまでの過程であり、読者を惹きつける大切な要素だと思う。そして、その渦中にいる人間の姿(心情や哲学)が、経糸の役割を持つストーリーに対する緯糸の役割を果たすと考える。

ある作家の小説を読んでいて、取り立てて起伏のあるストーリーではなく、面白味に欠けるなあと思ったのだが、キャラクターが実に特異で、そんなに際立っているわけではないものの煮ても焼いても食えぬところがあって、高く評価はできないが無視できないものがあった。なおその作品は私小説であり、徹底したリアリズムに貫かれていたと思われる。ほとんど手記のような作品だが、その点は宮原昭夫の言う通り、作者が自分と主人公を混同していなかったのなら小説といっていいと思う。

当該作品について言いたいのではなく、小説が読者に何を与えるか、について考えさせられるものがあったのだ。世の中では面白いストーリーや際立った人物が注目を浴びるかも知れないが、一般には見向きもされず、わけがわからない奴だけれど、こんな人間もいるんだぞ、というメッセージを届ける側面が、小説にはあるのじゃないかと思う。その点は、忘れないようにしたい。