他人と過去は変えられないが、自分と未来は変えられる。
ようつべでビジネス系動画では、よく言われていると思う。私も四十路に到達してようやくそのことを理解してきて(幼稚なのです)、知人や仲間に対しては以前からだったが、親類縁者に対しても強要したり要求したりしなくなってきた。
さて、他人は変えられないが自分は変えられる、を考えた時、私は中学校時代にお世話になった国語教師のことを思い出したのである。その先生は、テストで、次の写真の中から夏目漱石を選べ、といった四択の問題(漱石だったかどうかは忘れたが)の選択肢の一つに自分の写真を混ぜるような、面白い先生だった。一方、不良生徒には実力行使も辞さない人で、私はいい先生だったと思っている。
その先生が最後の授業で、「変える」と「変わる」について話した。二つの違いは何か、とまず生徒に聞いたので、私は「変える」は他動詞で「変わる」は自動詞、と答えた。しかし先生は、自分を「変える」は強制・妥協であり、「変わる」は欲求・前進だから、後者の方が良い、君たちも自分を変えるのではなく、自ら変わろう、といった意味のメッセージをくれた。
もう四半世紀以上前にもらったメッセージだが、今も覚えているし、深いメッセージだと思う。ここでは他人は問題ではない。自分が変わることについて、「変える」は後ろ向きで妥協的だが、「変わる」は前向きな欲求だとたしかに思う。自分にいけないところがあれば変える必要があるだろうが、そうでないならわざわざ変えなくていい。何か心ひかれるものがあり、それを求めて変わるのが理想か。