杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

趣味と夢

2017年のTBSドラマ「カルテット」には、こんなセリフがあるらしいです。

仕事にできなかった人は決めなきゃいけないと思うんです。趣味にするのか、それでもまだ夢にするのか。趣味にできた蟻は幸せだけど、夢にしちゃったキリギリスは泥沼…

私はこのドラマを見ておらず、上のセリフがTwitterbotに出ていただけなので、一体何を仕事にできなかった人のことなのか、まったく分かりません。ただし、このドラマは三十代のアマチュア演奏家たちの話であるらしいので、恐らくプロ演奏家でしょう。台詞は、演奏家を目指していたものの実現しなかった人は、夢のまま追い続けるか趣味に変えるか決めないといけない、ということでしょう。趣味に変えることができた人はコツコツ働いて幸せを摑み、夢追い人は夢見心地で楽しけれど次第に生活が苦しくなる、ということではないかと。

これは要するにワナビに対する一種のメッセージです。何者かになりたかったけれどなれなかった人に対し、その「何か」を趣味道楽にするか、真剣に仕事にするために挑戦し続けるかを決めよ、と。で、どうやらこの言葉を言った人は、どちらかというと趣味にしておけばいいと伝えたいようです。

そして、これはワナビにはある意味で残酷なメッセージです。そのままワナビでい続けるのは地獄だよ、だから悪いことは言わないから趣味にしておきなよ、ということですが、それはワナビにとっては引導を渡されるに等しく、アイデンティティを否定されるに等しくもあるわけです。

ワナビはどうすれば良いのかというと、現実と折り合いをつけながら、コツコツ挑戦し続けるしかありません。夢を捨てるのも一つの手であり、趣味にしてしまうのももちろんいい。それで毎日を楽しく生きていけるなら、それでいいのです。しかし、そんな妥協策で手を打ってしまったら生ける屍になってしまうワナビもいます。それほど強く「何者かになること」の決意を胸に刻印してしまった者は、言わば呪いをかけられたようなものですから、簡単に趣味になど切り替えられません。

映画『ばしゃ馬さんとビッグマウス』の主人公は最後は夢を捨てて田舎に帰りますが、簡単に夢を捨てられないのがワナビなのです。