杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

ワナビに悲しむ暇はない。

私見だが、ワナビの多くは、学生時代にワナビを卒業することなどできず、会社勤めをしながらワナビであり続けるのではないだろうか。もし学生時代にワナビを卒業できてしまったのだとしたら、その人の「ワナビ度」はその程度のものだったんだと思う。つまり、ワナビゆえに味わうであろう焦燥や渇望が、学生から会社員へ、という立場の変化を遂げるだけで解消されてしまう程度の弱いものだった、ということだ。

さて、もしワナビが社会へ出てからも解消されない、要するに一種の「こじらせワナビ」になってしまったとしたら、社会人を続けながらワナビを卒業するための努力と行動が必要になるだろう。その具体的な道のりは、限りある時間をどうにかやりくりして作品を生み出し、世に問い、評価されてステップアップする、ということになると思う。

ところがそれが楽ではない。勤め人なら自分の時間はだんだん持ちづらくなり、結婚して家族ができようものなら尚更である。

自分の時間が、会社や他人、家族にガリガリ削り取られるのは辛い。時に相手を恨みたくなるし、自分の不運を嘆きたくもなる。私自身、「自分の時間の創出」は長く大きなテーマになっていて、あれこれと創意工夫しながら取り組み続けている。うまくいかず、悲しくなってくることも多い。

だが、悲しんだって作品は書けないのである。作品を完成させるには、四の五の言わずとにかく書くしかない。悲しんでいる暇があったら、一行でも一文字でも書いて作品を完成に向かわせろ、という話だ。ワナビに悲しんでいる暇はないのである。