先日、日経新聞の1991年5月の縮刷版を読んでいたら、「現代の「教養」いずこへ」という見出しの記事があり、面白そうだったので読んだ。
「「教養」という言葉の地位が低下している。」という一文で始まるその記事は、出版社や大学の方向転換を引き合いに、「教養」はどこへ行くのか、といった問題を提起している。記事は、「辞典はこれまで、アカデミックな権威を笠に着て、使う人を見下すような傾向があった」という、福武書店の辞書セクション担当者のコメントを紹介し、文学全集についても言及している。
文学全集の五〇―六〇年代盛んに刊行され、一シリーズはそろえて本棚に置くのが教養人とされるような風潮があった。
とある。本当かなぁ…と私は思ったが、私が育った80年代くらい、友人の家などに遊びに行ってその類いの本を見たことはほとんどなかった。私の実家にはたしか中公の「世界の文学」が揃ってはいたが、家族の誰もそれを全部読んでいなかったと思う。
記事は、冷戦構造が崩れて時代の先が見通せなくなっている、新しい教養を求めて専門家も読者も模索する時代になった、と締めくくっている。面白く読んだが、さてでは今の「教養」はどうかというと、雑誌などでもわりと教養を身につけようという特集を見かける印象があるし、そういう書籍も出ている。が、それらはだいたい「ビジネスに役立つ」という宣伝文句が付いていて、人生を豊かにする、という売り出し方は少ないように感じる。
私は、教養だけではダメだし、知性だけでもダメで、やっぱり両方必要だろうと考えている。