杉本純のブログ

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コンプレックスと阿Q

コンプレックスに逃げてさえいれば、
努力をしなくても許される。
しかしそれは安価な手品であり、ごまかしでしかない。

小倉広『アルフレッド・アドラー 一瞬で自分が変わる100の言葉』(ダイヤモンド社、2017年)で引用されているアドラーの言葉の一つである。

アドラーの言うコンプレックスとは、「劣等感を言い訳にして人生の課題から逃げ出すこと」で、強いふりをする「優越コンプレックス」や、同情や課題の免除を貰おうとする「劣等コンプレックス」があるとのことである。

そして同書には、強い劣等感を持つ人は、怒りなどの激しい感情を使う、ともある。どれも心当たりのあることであり、私自身がかつては激しい感情ばかりを使っていたし、強がっていたし、同情を買おうともしていて、今もそれが完全になくなってはいない。また、私よりはるかに年上で、同じように劣等感から逃げ出している人を、私は複数知っている。

そういう人たちにおおむね共通しているのは、強い感情を相手にぶつけることで相手を屈服させ、自分の劣等感をごまかしていることだ。そういう人をよく見ていると、実際に劣等感の塊のようで、確かに実績というべきものがほぼない。あったとしても、ずいぶん過去のことですでに効力を失っているだろうと思うものばかりである。

だから自分より立場の低い相手を見つけて、感情をぶつけて屈服させ、偽物の優越感を得て安心しようとする。冒頭に引用した言葉の通り、それは「安価な手品」に過ぎない。

そういうことをするのは、要するに「阿Q」なのだと思う。私の周囲には、阿Qがけっこういる。