杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

書くことしかできない人

大沢在昌『売れる作家の全技術』(角川文庫、2019年)を、気になるところを拾いながら読んでいる。「編集者は新人作家に何を期待するか」という見出しがあり、私はまだ新人作家ですらないながら気になって読んだ。中で、作家の馳星周の言葉が引用されており、生意気ながら我が意を得たりという気がした。

自分が書きたい世界を持っているか。私の場合、ハードボイルド小説が大好きで、とにかくハードボイルドを書きたかった。他のものは書きたくなかった。だから今もハードボイルドを書き続けているし、あの頃の「情熱」は三十年以上経った今でも衰えてはいません。「小説 野性時代」の後ろのほうに横溝正史ミステリ大賞(現・横溝正史ミステリ&ホラー大賞)の応募要項が載っているんですが、選考委員の馳星周さんが「小説家になりたい人間に用はない。小説を書くことしかできない人間なら歓迎する」というようなことを書いています。「作家になりたい」のではなく、「小説を書きたくて書きたくて、書き続けた結果が、作家という職業である」ということなんだと思います。

読みながら心の中でうんうん頷いた。私はまだ「書き続けた結果」としてプロの小説家には到達していないが、これまでもシナリオや小説を書き、今も書いていて、やはり最も奥底で書く力になっているのは、書かずにはいられないという情動のようなものではないかと思う。

「作家になりたい」という思いは確かに存在する。その思いには恐らく、周囲の人間に対して優越感を得たいという思いとか、俺を馬鹿にしやがったあいつを見返してやりたいという思いが混じっている。そういう怨念とか執念みたいなものは重要と思うが、けっきょく最後に文章を書き継ぐ力になるのは「書きたい」という欲求なのではないかという気がする。