ディーン・R・クーンツ『ベストセラー小説の書き方』(朝日文庫、1996年)にこんな箇所がある。
多くの新人作家たちは、アイデアが完全に固まるまで机の前にすわってはいけないという、あやまった考えの影響を受けている。この世に完全なアイデアなどというものがあったら、ロバート・ラドラムやローレンス・サンダーズ、ヘレン・マッキネスたちが、さぞうらやましがって涙を流すことだろう。ナンセンスとしかいいようがない。
もしもひとつのストーリーを思いついたら、すぐに、それがたとえ君を金持ちや有名人や人気者にしそうもないアイデアであっても、机の前にすわって、それを書き取ってみることだ。小説を書くという行為そのものが、精神を集中させ、柔軟にし、創造的にするのだ。
私はかねて、小説はテーマやストーリーを頭の中にちゃんと描いてから書き出すのが良いと考えていた。そうでないと作品がどこへ進むかわからず、あてもないまま百枚とか二百枚も書き進めてからそれを丸ごと放棄することにもなってしまう、と思っていたからだ。そういうことは、実際にあった。
しかし、それはもちろん一理あると思いながらも、完全に構想が固まるまで一文字も書かないままうんうん考え続けるのもどうかと、最近は思っている。上記のクーンツの言葉は、厳密には小説の本文を書くことを指していないかも知れないが、ただ考えるよりも、とにかく書き出してみることで次にくるべきエピソードやイメージが浮かんでくる、ということはあると思う。
実際、ある小説の創作に取り組んでいて、構想を立てている段階のある地点でそれ以上のアイデアが出なくなってしまい、それなら頭でなく手を動かそう、となったのだ。通常は、参考資料を読むなり、創作ノートとにらめっこするなりして想像を膨らませていくが、それはそれとして、手を動かすのも一つの手なのではないかと思ったのである。
実際にそれをやってみたら、現時点での構想の欠陥が少し見えた。構想のどの部分を補強しなくてはならないのか、読者を飽きさせないためにはこの次はどんなエピソードがふさわしいのか、といったことを嫌でも考えることになり、効果があったと思う。
そうやって書き進めていったものは、いずれは無駄になるかも知れない。でもそれでいいと思っている。小説家は、書いては捨て、書いては捨てして作品を完成させるのだ。
効率化なんてものは、結局ないんだろう。頭を使い、そうでなければ手を動かす。それが一番の近道なんじゃないか。