杉本純のブログ

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小説家は重労働

イメージがあるかどうか

小説を書くのは重労働だとディーン・R・クーンツの『ベストセラー小説の書き方』(朝日文庫、1996年)に書いてあります。そして、クーンツのそういう正直さには好印象を抱く、と吉田親司の『作家で億は稼げません』(エムディエヌコーポレーション、2021年)に書いてあります。

最近、私も小説を書く日を過ごしていますが、これはたしかに重労働だ、と感じます。何時間も机に張り付いて書き続けるのは、楽な仕事とはいえないでしょう。

たしか林真理子が、書くうちに時間が経つのを忘れ、5枚、10枚、気がついたら25枚書いていた、というくらい書きまくれる人じゃないと職業作家は無理じゃないかな、と「情熱大陸」で話していたように思います。

これは本人以外に証言者がいないようですが、北方謙三は山の別荘(かホテルか)にこもり、一晩で『火焔樹』という長篇を書いたそうです。

バルザックは、夜に友人と玉突きをしている間に中座して「ざくろ屋敷」を書き上げるほどの、輪転機のように小説を量産できる人だったそうです。

林も北方もバルザックも、書くという重労働をこなす体力がある人なんだろうなと思います。加えてもう一つ感じるのは、頭の中に小説の確固たるイメージが固まっているからこそ、重労働をものともせず、指先から文章を迸らせることができるのではないかということです。確固たるイメージがあっても遅筆の人はいるでしょうが、少なくとも、イメージがないのに早い、というのはないのではないかと思います。仮にそれで速筆できたとしても、それはぐちゃぐちゃな作品になってしまうのではないでしょうか。

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小説「映画青年」(3)