杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

「読んで、読んで、読みまくれ」

ディーン・R・クーンツ『ベストセラー小説の書き方』(大出健訳、朝日文庫、1996年)の第四章「ストーリーラインを組み立てる」は、そうとはうすうす思っていたが確信まではしていなかったことが書かれている。

「ストーリー・アイデアをみつけるには」という見出しの中には、スリー・マイルズ島の原発事故の後、二十人以上の作家が原発がもたらす災害を題材に小説を書いたが、どれも成功を収めず、かろうじて映画「チャイナ・シンドローム」が、たまたま事件時と公開時期が重なったので成功しただけだ、とある。

東日本大震災の後、批評家などが、作家なら震災に関連した作を書いて世に問え、などと言っていたと記憶する。それに対し、作家が何を書こうと作家の勝手だ、と言った作家もいた。私は後者の方が正しいと思っていたが、クーンツが「大衆の興味が集中しているホットな話題にすぐ飛びついてプロットを立てるのも、また能のない話だ」と書いているのを読み、深く頷く。

続く「読んで、読んで、読みまくれ」という見出しでは、分野にこだわらず手当たり次第になんでも読め、と言っている。

 どんな作家でも、つねに数多くの他人の小説やノンフィクションに接して、自分の潜在意識を豊かにしていなくては、次々に黄金のアイデアを生みだすことはできない。どんな小説からでも、無数の事実、登場人物、イメージ、語り口、プロットのひねり方などが、君の潜在意識のなかに蓄えられ、それらが絶えず意識下で作用しあう。こうして取り入れられたアイデアの断片は、独創的なアレンジが加えられて、まったくちがうものに生まれ変わるのだ。

頷きつつ、純文学作品ばかり読んでいた自分を反省しながら振り返った。もしクーンツの言葉に付け加えるとしたら、「興味が向いたものなら何でも」か。何でも読むことが義務化されてしまうと、それは黄金のアイデアの湧出を阻害するだろうと思うから。