杉本純のブログ

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里見弴と瀬戸内寂聴2

先日、このブログに里見弴が瀬戸内寂聴との対談で話したことを書いた。その対談は、調べてみると「書いた、愛した、遊んだ九十年」というタイトルで、「新潮」1982年7月号に掲載されたものだと分かった。現在は『生きた 書いた 愛した 対談・日本文学よもやま話』(新潮社、1997年)に収録されていて、私はそれで読んだのだが、長い。1982年というと、里見は1983年没なので、最晩年の頃になる。

里見と瀬戸内の付き合いは、瀬戸内が有髪の頃から四半世紀にわたって続いていたらしく、特に瀬戸内が剃髪してからは会う機会が多くなったそうだ。瀬戸内は里見との話が楽しかったそうで、いつも別れた後で録音しておけば良かったと思っていたらしい。対談の企画は「新潮」に持ち込まれて実現し、鎌倉扇ヶ谷の里見邸で行われた。瀬戸内としては、それまでの対話の総ざらいをするつもりだったという。

佐伯一麦『月を見あげて』(河北新報出版センター、2013)の「落花の風情」には、関東大震災の時、里見の周囲には震災で弱気になって関西へ行ったり、故郷に帰って畑を耕そうとしたりする「同業者」がいたと書かれている。『生きた 書いた 愛した』を読むと、関西に行ったのは小山内薫で、故郷に帰ろうとしたのは菊池寛だったことが分かる。里見は、気の強い菊池が震災ごときで故郷に帰って農業をやろうとしたことにがっかりしたそうで、菊池のことを「小人物」と言っている。

震災ぐらいのことで、国に帰って農業に、なんて情ない人だと言わんばかり。こういうものを書いたらいいじゃないかという……。雑誌がなくたって、新聞がなくたって感じないよ、こういうのは。

肝っ玉の据わった人だったんだなと率直に思った。