杉本純のブログ

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佐伯一麦『ミチノオク』第二回 貞山堀

「新潮」2月号に佐伯一麦『ミチノオク』第二回が掲載されている。今回のタイトルは「貞山堀」というタイトルで、「貞山」は「ていざん」と読む。貞山堀は伊達政宗の諡に因んだ命名で、仙台湾沿いの運河「貞山運河」の通称である。

第一回「西馬音内(にしもない)」は、秋田県の西馬音内という土地の盆踊りが題材だったが、今回は仙台の植物を含む生き物全般が題材となっているようだ。

話は、主人公である「ぼく」が大阪から新幹線で仙台に戻る途中、東京駅で足止めを食っているところから始まる。「ぼく」は小説を書く人間で、アスベストに関する小説の執筆を再開しようと被害者の家族に会いに尼崎に行った帰路だった。

どうして足止めを食ったかというと、台風19号の影響である。河北新報のサイトを参照すると、JR東日本は東北、秋田新幹線の運転を12日から13日午後4時まで運休していたことが報じられている。

ちなみに大阪のホテルに滞在したことは回想として描かれるが、「沛然」という見慣れない漢字が出てくる。「はいぜん」と読み、雨が盛んに降ることを意味する。知らなんだ。

「貞山堀」の話の中心は、貞山堀にほぼ並ぶ形で走る東部復興道路の近くに住む農家の「Gさん」とのやり取りである。「Gさん」は年長の知人で、とても美味しい米を作る。田んぼを見に来てくれとかねて誘われていて、このたびついに会いにきたのである。

「Gさん」は田んぼでメダカを飼って無農薬栽培をしている。沿岸部の井土浜というところの辺りにいたメダカが、震災のためにいなくなってしまったが、大学の先生から、メダカを孵化させ、元の場所に戻そう、と打診される。自身も取り組み、賛同者も得るが、区画整備で水路がコンクリートU字溝になってしまい、それでは冬になると水が枯れてしまうのでメダカを飼うことができない。Gさんは、仕方なく自分の田んぼでメダカを飼うことになった。

田んぼでメダカを飼うのは容易ではなく、稲に付いた虫を落とすには農薬を使うのが手っ取り早いが、使えばメダカも死んでしまう。無農薬栽培といってもメダカがいるために特殊であり、水を引いて土を乾かすことなどができない。地域の人びとと連携して農業を営んでいくため、「JAS有機」のやり方を自分のところだけでやるのも難しいようだ。この辺り、「Gさん」の台詞で展開されるのだが、読解が難しい。

いずれにせよ、メダカが足枷になって楽ではない状況に立たされ、震災の影響に翻弄されているが、「Gさん」は笑顔を失わずに生きている。

「貞山堀」の主題は、土地を開発して作り替え、科学の力で効率的に生産しようとする人間への批判とも受け取れそうだが、どうもそんなに単純ではない。実際、震災をきっかけに遺伝的多様性が高まった植物があったり、草木染作家の妻がいったんは育てるのをやめていた「藍」が、震災後、庭の表土の放射能濃度が高かったために土を入れ替えたら新しい茎が出てきたりした。厳しい環境変化の中でも命をつなぎ、広げていく生命の力のようなものを描こうとしているように思える。その中には、メダカや「Gさん」も含まれるのだろう。

「ぼく」は「Gさん」と対話しながら貞山運河(貞山堀)の方へ歩いていく。「ぼく」には貞山運河を題材とした紀行小説を書きたいという思いがあったが、江戸時代に最初に木曳堀を開削した川村孫兵衛重吉のことがなかなか調べられずにいたところへ地震が起き、貞山堀の風景を描けなかったことに後悔の念を持っている。震災は生き物や人間の営みを引き裂いただけでなく、作家である「ぼく」の思いにも傷を残していたのだ。しかし、生き物たちがどうにかこうにか生き延びたように、「ぼく」もまた「Gさん」を訪ねて貞山堀へやってきて、笑顔になっているのである。

不思議な味わいのある、佐伯らしい随想風の私小説だと思う。