杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

佐伯一麦と藤原智美

佐伯一麦『からっぽを充たす』(日本経済新聞出版社、2009年)は、河北新報朝刊に2004年4月6日から2008年1月22日まで連載された随筆をまとめたもので、私見だがかなり重要な随筆集である。というのは、佐伯が随筆を発表するようになる以前の情報も豊富にあるだからだ。

本書の「『運転士』の誇り」は、尼崎のJR脱線事故を知った佐伯が、藤原智美芥川賞受賞作「運転士」を思い返す内容である。その最後に、興味深い記述がある。

 ところで、藤原氏は、小説を書く以前からルポルタージュも手がけており、茨城の電機工場での仕事と作家と二足の草鞋を履いていた頃の私に、工場まで取材に来た。そのときの名刺には「花園敏」と書かれていた。それが「火炎瓶」をもじったものだと悪戯顔で知らされたのは、彼が芥川賞を受賞して作家になってからのパーティの会場でだった。

「花園敏」こと藤原智美が茨城の工場まで来たのは、恐らく「すばる」1991年6月号「すばる今(imagine)人」の取材である。私は以前、このブログでその記事を紹介しており、花園敏にとって佐伯は難しい取材対象だったのではないかと書いた。

藤原智美芥川賞を取ったのは1992年上半期の第107回なので、「今(imagine)人」の記事を書いてからさほど経っていない頃である。『芥川賞直木賞150回全記録』(文藝春秋、2014年)を読むと、受賞時の藤原は36歳で、職業は「コピー制作業」とある。フリーライターの傍ら小説を書いていたようで、1990年に「王を撃て」という作品でデビューしたらしく、となると佐伯を訪ねた時にはすでに小説家として活動していたことになる。「運転士」は、「群像」5月号に掲載された。