杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

「脊髄反射的な言葉」

そんな言葉をTwitterの中で見つけた。言った人は人は、その言葉に対し「明日になれば忘れる」と批判的なようだった。つまり、今は多くの人がSNS上などで脊髄反射的に言葉を発して呼応しているだけで、言葉に重みがない、深い人間性が感じられない、といった意味だと思う。

私はことさらSNSなどを通じて言葉や人間性が軽んじられているとは思わない。が、脊髄反射的な言葉というのは面白い。たしかに、お笑い芸人などを見ていると話される言葉はまさに脊髄反射的であり、一般人の言葉づかいを見ていても、その影響を感じることがある。私はそういうのを見てすごいなと思うばかりでとても真似できないが、今の世の中、他人とコミュニケーションを取っていく上ではけっこう大切な能力であるような気もする。

要するに即興なのだろう。脊髄反射的な言葉が多くなっているということは、即断即決というか、状況に対する自分の態度をなるべく早く決めることが尊ばれる、ということだろうか。世の中のスピードが早くなっているということかも知れないが、上に述べた通り、だから言葉が軽んじられているなどと言うつもりはない。