西村佳哲『自分の仕事をつくる』(晶文社、2003年)の「まえがき」と「あとがき」を読み、その他の部分もぱらぱら読んだ。
本書は、さまざまな人に、その「働き方」を聞いて回ったものだ。そして、一人一人が「いい仕事」を手掛けられるようになることを著者は願っている。
「いい仕事」とは何か、という問いに正しい答えを見つけるのは難しい気がする。私は、自分の仕事を美化して、その価値観にそぐわない他人を見下す輩が嫌いだし、だから自分の仕事を高尚なものだと思うことを戒めている。一方で、世の中には粗悪品と呼ぶべきものが実在しており、「安かろう悪かろう」を往々にして感じる。
もし私の仕事観を述べるなら、他人の負担を軽くすること、が一般に「いい仕事」の条件である。世の仕事の大半は、この理屈で動かせると考えている。これに当てはまらないのが娯楽やエンタメの仕事で、それらは逆に、ある種の、相手が求める負担を提供するのが「いい仕事」になる。夏目漱石が、文明には人間の力を消費しないようにする働きと、積極的に消費させる働きがある、といったことをどこかで述べていたが、その通りだと思う。
さて本書のアマゾンレビューの低評価の方を見ると、本書が効率性や経済性を軽んじていることを批判するコメントがある。それについては、では安かろう悪かろうでいいのか?と問えば話はほぼ終了する気がする。また本書では、自意識が敵であるとも述べられている。恐らく、自分の仕事を高尚だとか個性的だなどと必要以上に意識しなくてもいいことも、著者の考えの中にあるだろう。
もちろん、作る側も買う側も、品質や精神的充足よりも経済効率の方を(たとえそれが短絡的だろうと)優先することはある。つまり、安かろう悪かろうで構わないと思っている人はいて、それで経済が回っているのも事実なのである。私は十年以上前、ファストフードチェーンを展開する企業の元重役にインタビューし、自分は「食」なんて興味がない、マーケティングに基づいて施策を打ってヒットすれば嬉しかった、と相手が言ったのを今もはっきりと覚えている。
もっと言えば、食べ物だろうと家具だろうと自動車だろうと何だろうと、提供する側が良いと思うことと買う側が良いと思うことは往々にしてすれ違うのであり、それで健全とも言えるのである。
この本で最も共感したのは「オーナーシップ」を重視する点である。これがない限り、人はどうしても会社や給料のために働くことになってしまうだろうと思う。