杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

他人の勝手

「文壇は藝能界」。昔ある知り合いがそんなことを言っていた。

文壇は藝能界で、だから作家は藝能人だということらしかった。たしかに、往々にして(常に、かも知れない)作品は作品自体の価値でなく作家自身の魅力によって支持を集める気がする。芥川龍之介太宰治など、自殺した作家は高尚で難しいことに悩んでいる人、として支持を集めるのではないか。自己演出に長けた作家はしばしば熱狂的なファンを集め、教祖的な存在にまでなってしまうこともあると思う。

最近、出産をしたらしいある女性作家が、会う人の多くが育児の話題ばかり振ってくるが、自分は文学の話をしたいんだ、と嘆いていた。しかしそれは要するに、当人が藝能人のように見られていて、作品よりも作家自身の身辺の話題の方が興味を持たれているなのに、それを自覚していないということではないか、と思った。

他人が自分にどういうイメージを持つかを他人に強制することはできないだろう。自分は文学の人なんだから文学の人だと思ってくれ、などと訴えるのは傲慢である。

育児の話ばかり振られるならそれで結構、育児の話は適当にやっておいて文学の話に転がるように自力でやればいいのだし、もっと言えば、育児などよりもっと話題になるような作品を書けばいいではないか。

他人が自分をどう思おうが、それは他人の勝手なのである。(前振りが長かった…)