杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

お金は信用の数値化

山崎元『お金とつきあう7つの原則』(ベストセラーズ、2010年)は、タイトルの通り、お金と付き合っていく上で原則とするべきことを述べた本。お金の本質を伝えることが主眼となっているためテクニカルなことは書いていないが、お金に対する心構えや認識の仕方などがいちいち頷ける。

さて、本書にはこんなことが書いてある。

 まず、お金とは何か――。
 あえてひと言で言うと「お金とはそれをもって支払いができる手段」のことだ。
 当たり前の話に聴こえるかも知れないが、まずはこれを理解してほしい。
 お金は、もともとお金として自然に発生したものではない。かつては貝殻や石だったり、あるいは金や銀といった稀少な金属だったりした。その時々のその社会の中で「お金」として通用しているものがお金と呼ばれるものなのだ。
 本来、お金ではなかったものを、お金として通用させてきたのは、社会を構成するみんながそれをお金として理解し、それをもって支払いすることができたからだ。それを受け取った人が、支払いを受けたと理解する。それを渡す人が支払いを済ませた、というふうに考えることができる対象として想定されてきたものがお金である。
 お金は支払い手段として、みんなに信用されているものだ。「お金とは信用である」と言い換えてみてもいいだろう。
 ここで言う「信用」とは、「将来、急にその価値がなくなりはしない」ということを前提にして、みんながそれを当てにしているということだ。こうした信用に裏打ちされたものであるがゆえに、お金はさまざまな支払いに使うことができる。

お金の本質は信用である(お金=数値化された信用)といった見方は、これまでも色んな人がしている。私は「お金とは?」といった問いの答えをこれまであまり真剣に考えたことがなかったが、数値化された価値かな?などと漠然と考えていたように思う。数値化された信用、という言い方のほうが正しいと思う。

白状すると、私はこれまで、厳格で絶対的な力を持った「お金」という者の存在を半ば信じていたかも知れない。自分がお金をたくさん握るようになれば、それは自分が力を持っている証になる、みたいに考えていたように思う。しかしそういう考え方はどうもしっくりこなかった、というより、それだと果てのない不毛な争いをひたすら続けることになると漠然とながら感じていた。

お金=権力の思考だと、けっきょくお金の奪い合いになるだけではないか。私は調べ物や書き物が好きでそれをやっていきたいのに、お金についてそういう思考を持っているだけで、社会や会社の中で自分の望む人生を送れず不毛な闘争を強いられるのは馬鹿げているだろう。

お金を得ようと考えるより、信用を得ようと考える方がしっくりくるように思う。