杉本純のブログ

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世代論について

最近、世代間ギャップについて考える機会があったのだが、果たして世代論なんてのは成り立つのかどうか、という疑問を持った。

私は縁あって全共闘世代の人をいくたりか知っており、それなりの交流もあった。あの世代の人は押しなべて、やたら政治への関心が高いというか、変わったこだわりを持っているようで、なるほど全共闘の人たちってこうなんだ、と思わせるものがある。バブル世代の人などは、髪型とか服装を見ると特徴が現れているように感じる。

そう考えると世代論というのは一定の正当性があるように思えるが、それは多分、日本人は大人しいとかイタリア人は愛とか歌が好きだとかいうのとほぼ変わりないレベルだろう。

全共闘世代の中にもちゃんと大学に行って勉強していた人はいるし、バリケード封鎖をした人たちに憤っていた人もいる。狂乱の中で大人しく控えめに生きていたバブル世代もいるだろうし、ゆとり世代の中にはハードワークとか飲み会好きも少なくないに違いない。

その世代に該当するからといって、例外なく全員にその特徴が現れるなどということはない。それは価値観においても外見においても同じだろう。ただ、同じ世代の人が同じ年齢の時期に同じ世の中の出来事や世相を体験しているのは事実である。だからといって、出来事や世相への反応の仕方は人それぞれなので、世代論はやはり厳密には成り立ちようがないと思う。