杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

志は期限付きか、無期限か。

全共闘白書』という本が新潮社から1994年に出ていた。東大安田講堂から四半世紀になる節目に、当時学生運動に加わった有志の実行委員会が企画し編纂したもの。知らなかった。

そして現在、その続編が作られている。実行委員会がかつての学生運動参加者約五千人にアンケートを送り、運動に参加した理由や、結婚歴や収入、年金の受給状況、現政権への評価、全共闘運動の総括の他、辞世のことばなども問うているらしい。

回答は6月30日まで回収するらしく、その途中経過がネットニュースに載っていた。その中に、ある元赤軍の回答者の、学生運動は期間限定付きのものでしかなかった、という回答が紹介されていて、その部分を読んで私は、学生だったかどうかは別として、何かを志しての運動だったはずなのに、その志は期限付きのものだったのか?と思った。

例えば学生時代にスポーツや藝術に打ち込んでいて、卒業を機に見切りをつけ、以降は趣味とかライフワークに切り替えていく、というのはあるだろうと思う。ただし、プロ選手や藝術家として生きていこうと本気で考えていた人が、学校が終わるからという理由で、思うままその活動に身を投じていた時期を終わらせて働かなくてはならなくなることには、それなりの苦痛があるだろうと思う。それでも、経済的自立を含めて社会人として生きていくのは人間である以上とうぜんのことなのだから、自分の力量とか実績とかを冷静に評価してしかるべき道を探るしかないだろう。そしてもちろんスポーツであれば体力的に歴然たる限界が訪れるので、プロを目指す活動に終止符を打たなくてはならなくなる時期が必ずくる。藝術はそれがない分、ずるずるとワナビを続けることにもなってしまう。

とまれ、私には実体験がないが、政治思想?を含んだ実力行使をも辞さぬ活動が、学校を卒業するから、という理由でぱったりと終えられるものなのかどうか疑問だ。国に関するビジョン?を含んだ活動なのに、学校という既存の枠組み(機関)を前提にして行われていたということが理解できない。要するに冗談半分のおふざけに過ぎなかったのではないだろうか。もっとも上の回答を出した人は、自分の志が結局その程度でしかなかったのを自覚し悔恨を込めてそう回答したのかも知れないが。

志を達成しようとする過程に節目はあると思うが、期限なんてものは普通はないと思う。