杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

「二人の老サラリーマン」1

司馬遼太郎の『ビジネスエリートの新論語』(文春新書、2016年)は、発売当時、司馬の「20年ぶりの新刊! 初の新書!」と帯に書かれていたのが面白そうだったから買った。昭和30年代に司馬の本名(福田定一)で刊行された幻の本だというので、けっこう話題だった。元のタイトルは『名言随筆サラリーマン ユーモア新論語』。

買ってから長らく「積ん読」になっていたが、このたび部分的に読んだ。どうして読んだかというと、買った時から目次の中に気になっていた箇所があり、今回、その箇所に関連することを考える機会があったからだ。そのことは、目次が気になった時から半ば予期していた。「積ん読」は私にとって、しばしばそういう「後で必ず読むことになる確信」を伴うものだ。

さて気になっていた目次とは、本書の第二部の「二人の老サラリーマン」で、どうして気になったかと、なんだかバルザックの小説のタイトルにでもありそうな、人間味ある老人のエピソードが載っていそうな感じがしたから。それが最近、サラリーマンとしてものを書く、ということについて色々と考えることがあって、ページを開いた。

「二人の老サラリーマン」は、司馬が新聞記者時代に会った文字通り二人の老サラリーマンとの交流が書かれたもので、それぞれ味わいがあった。冒頭にはゲーテの言葉「涙とともにパンを食べた者でなければ人生の味はわからない。」が掲げられている。

一人目は「松吉淳之助」という記者で、司馬が最初に勤めた新聞社で整理記者をしていた人。存在感の薄い人だったようだが、司馬はその人から新聞記者の技術をはじめ、大正時代以降の新聞業界事情のようなものを、仕事後に焼酎を飲みながら聞いたらしい。後年、松吉淳之助のいた新聞社はつぶれ、今はどこにいるのかすら分からない、といった書き方で締めくくられている。

面白かったのは、司馬の目に映った新聞記者という職種の変遷である。

彼(松吉)は、大正二年に国民新聞に入って以来、朝日新聞、報知新聞、時事新報などを経て最後の京城日報にいたるまで、現在の社を除いても五回ばかり社歴を変えている。当時の新聞記者の生態は多くはそうしたものであったようだ。社のために働くというよりも、戦国時代の武芸者が大名の陣屋を借りて武功をたてたように、彼らは自分の才能を愛し、自分の才能を賭け、その賭け事に精髄をすりへらす努力を傾けてきたというほうが当っている。

松吉はいわゆるサラリーマンとして出世するのをよしとせず、しかし出世しなかった自分を「大成」したと思っていたようだ。司馬は、そんな松吉をいっときは「完全な人生の落伍者であり敗残者ではないか」と思うが、自分は大成した、と淡々と語る松吉に、職業人の矜恃を見る。

のち司馬は松吉のいた社を辞め別の会社で記者をすることになるが、松吉の影響から「まるで武術の修業者のような気持ち」で、会社にぶらさがることなく一人の記者として腕を磨くべく職務に当たる。

けれどもやがて、そういう自分の態度さえも滑稽に思えるようになったようだ。時代の変化の中で、新聞記者の職業意識が急速にサラリーマン化していったらしい。「よきサラリーマンでないものは、よき新聞記者でないということさえ、明確に云えるのではないだろうか」とまで述べている。

これは昭和30年代に司馬が感じたことだが、昭和後期に生まれ、勤め人ライターとして平成の後半を過ごし、令和の現在も続けている私には私なりに感じるところがある。今もこういう職業人意識と勤め人意識の差異は存在している。例えば、ライターという「職」を手に持つ人が、プロダクションの中でサラリーマンとして出世していくのか、はたまたフリーとして野武士のように色んな新聞社や出版社と付き合いながら生きていくのか、といった選択の瀬戸際に立たされるのは今でも多くあるだろう。

どちらを選ぶかは人それぞれだが、真に職業人意識を持つ人であれば、会社における出世街道に背を向けて自らの道を進むことになるに違いない。その点、松吉という人はサラリーマンであり続けたわけで、それほどの職業人意識があったのならどうしてフリーにならなかったのか、という疑問が私にはある。むろん、当時の記者事情や業界事情などに私は詳しくないので、その頃にフリーランスをやるのがどういう意味を持っていたのか、よく分からない。

職業人を続けるのは簡単なことではないと思うし、勤め人であれフリーランスであれ、本人が後悔しない人生ならそれでいいと思う。けれども、自分の人生を捧げるに足る「何か」が自分の内部にない限り、道も何もないわけで、よって大成もクソもないと思う。記者やライターなら、それは書くべき題材があるかどうか、ということではないだろうか。