杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

ライターと作家

北尾トロと下関マグロの『昭和が終わる頃、僕たちはライターになった』(ポット出版、2011年)に、作家とライターの違いに関する記述がある。

 大学時代の2年後輩である町田が、妹の住んでいた部屋に居候してきたのは春先のことだった。町田は名古屋で堅い仕事に就いていたのだが、「仕事がつまらなくてさ」という理由で辞め、つぎの働き口を探しているところだった。将来はできれば作家になりたいが、すぐには無理だろうから適当な会社に入って給料をもらいながら小説を書くつもりだという。そんな折りにぼくと数年ぶりで会い、フリーライターという仕事があることを知った町田は、どうせ作家を目指すなら出版界に入り込んでおくほうが得策と考え、ライター見習いとして居候してきたというわけだ。
 「取材して、そのことを書くだけでしょ。伊藤さん、スキーやって遊んで暮らしているみたいだしな。ラクそうでいいや」
 明らかに町田は何かを勘違いしている。雑誌に原稿を書くのと小説家には「書く」以外の共通項はなく、別の職種。

まさにこれ。この本は、以前も書いたがライターとして共感するところの多い興味深い経験談が載っていて、とてもためになる本だと思っている。

私自身も、物書き、広い意味でも作家をやろうとしながらライターをやっている人間だが、ライターの延長線上に作家という職業は存在しないことはよく分かっている。作家になりたいからという理由でライターをやる人を時おり見掛けるが、ライターは作家への道の通過点ではない。ただし、新聞記者を経て作家になった人はエンタメ系の中にはけっこういるので、それで勘違いしてしまうのかも知れない。新聞記者ならノンフィクション作品の調べ方や書き方を少しは学べるのだろうが、ライターは、どうだろうか。また私の経験では、「ライター」をやって作家になろうとする人には純文学を志向する人が多い気がするのだが、それは気のせいだろうか。