杉本純のブログ

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佐伯一麦と町田哲也

町田哲也『家族をさがす旅』(岩波書店、2019年)は、私は当初、私小説だと思っていたのだが、岩波書店のホームページには「父の緊急入院をきっかけに,異母兄の存在を知らされた著者.現役証券マンによる渾身のノンフィクション.」とある。

岩波映画が出てきたり、著者が証券マンをやりながら小説を書いていたりと、色んな意味で興味深い作品なのだが、第三章「第二の人生」の冒頭は、著者自身が大学生の時に初めて小説を書き、新潮社の「学生小説コンクール」に応募するエピソードから始まる。

「ぼく」は、大学三年の春から夏にかけて「海外放浪のまねごと」として、アメリカの東海岸からヨーロッパを経由してニューヨークで夏を過ごし、その数か月間に小説を書いた。それを「学生コンクール」に応募するのだが、数か月後、新潮社の鈴木力という編集者から連絡が入る。作品がコンクールの最終選考に残ったのである。

この鈴木力という編集者は、調べると村上春樹の『1Q84』の担当編集者だったようだ。『家族をさがす旅』には、「何度か村上春樹のエッセイで鈴木氏のことを読んだことがあった」とある。

鈴木は「ぼく」を新潮社に呼び出し、町田が応募後に書き直していた原稿に目を通すと、そちらに差し替えて選考委員に送ろうと言い、さらに手直しを要求した。小説の内容は、ニューヨークに語学留学する若者たちの日常を描いたものだったようだ。

けっきょく受賞はできなかったが、「学生小説コンクール」は該当作なしで、奨励賞三作の一つに「ぼく」の作品が選ばれた。そして、「学生小説コンクール」は、それ自体が「翌年を最後に『新潮新人賞』に引き継がれることになる」とある。

町田哲也について調べると、慶應大在学中の1997年に「我が家のできごと」という作品で新潮学生小説コンクール奨励賞を受賞したことがネットにも出ている。コンクールの結果が出ている「新潮」(1997年4月号)を見ると、たしかに〈入選作〉は「該当作品なし」になっていて、〈奨励作〉として「我が家のできごと」(町田てつや)、「わたしを抱く空」(みるもりちひろ)、「春の胎内」(茅原麦)が記されている。

翌年の1998年4月号のコンクール結果発表を見ると、「今回を以て新潮学生小説コンクールは最終回となります」とあるので、『家族をさがす旅』の記述の通りである。なお最終回(第8回)の入選作は藤井健生「サブレ」である。

『家族をさがす旅』を読むと、「ぼく」すなわち町田が入選作のないコンクールの授賞式に出席していたことが分かる。授賞式で、町田は何かスピーチをしたようだ。町田は奨励賞受賞を父親に報告するのだが、そのくだりに「ある男性作家からの評価が低かったことが、賞を狙ううえで足かせになったのは明らかだった」とある。町田は「男性作家」の評価をもっともな指摘だと思いつつ、納得できず、「女性作家」の肯定的な評価の方に納得したようだ。

コンクールの選考委員は二人しかいない。「男性作家」は佐伯一麦で、「女性作家」は小川洋子である。「新潮」1997年4月号の二人の「選評」を読むと、たしかに『家族をさがす旅』に書いてある通り、佐伯の評価は「我が家のできごと」に限らず全体に手厳しい。だが、各作品とも長所も指摘している。

町田は、授賞式に出席したということは、そこで佐伯に会っていたかも知れない。佐伯への興味とはぜんぜん別の動機で読み始めた『家族をさがす旅』だが、佐伯との思わぬ接点が見つかった。面白いものだ。