杉本純のブログ

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佐伯一麦と「U氏」

佐伯一麦『散歩歳時記』(日本経済新聞社、2005年)の「人生日々是取材」は、山形新聞2005年1月25日夕刊に載った記事で、『鉄塔家族』で大佛次郎賞を取った後に新聞や雑誌の取材を受けたことから、記者やライターの「取材」について述べた随筆である。

この文章には、1991年に『ア・ルース・ボーイ』で三島賞を受けた時、同じようにたくさんの取材を受けたが、当時渋谷にあったフリーライター時代の先輩の事務所に居候させてもらって東急文化村で取材に応じたことが書かれていて、興味深い。

さてこの記事には、大佛賞の取材に来た「U氏」が、三島賞受賞時にも同じように取材をしていたことが書かれている。

「佐伯さんの三島賞のときの記者会見が、僕が文化部に移ってきてはじめての仕事だったんです」といまではベテランとなった文芸記者のU氏が、そのときのノートを見せながら言った。

この「U氏」は誰か。恐らく新聞記者だろうと思い、調べてみた。1991年の朝日、毎日、読売、日経を見てみると、三島賞を含む「新潮四賞」決定の記事、決定後の佐伯のインタビュー記事、などが複数の新聞で見つかった。インタビュー記事があるのは毎日と朝日だが、記者名のイニシャルはUではない。しかし毎日の方は女性記者のようなので、その後結婚し、内田などの姓になって、大佛賞の時の取材もしたのかも知れない、と思った。

それで大佛賞の時の新聞も見てみたが、インタビュー記事を載せているのは読売と朝日。いずれも女性記者ではなく、これでかつての毎日の記者の線は消えたが、読売の方はイニシャルがUの記者が担当しており、たぶんこの人だなと思った。三島賞は1991年5月16日に決定し、読売では翌17日の朝刊で「新潮四賞決まる」という見出しで報じている。そこには「授賞式は六月二十一日」とあるので、その日の近辺の読売新聞も見たが、授賞式の記事は見つけられなかった。記者会見の記事もないようだ。

もしかしたら「U氏」は、授賞式と記者会見を取材して原稿も書いたが、それは記事にはならなかったのかも知れない、と思った。もちろん、他の新聞か雑誌に「U氏」がいた可能性はある。しかし、1991年の読売には、三島賞とは別のところで、大佛賞の佐伯を取材した記者名と同じ名前が載っており、その人はどうやら、その時期から文化面を担当しているらしいのである。「U氏」は読売記者と考えて間違いないだろう。