杉本純のブログ

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「雛の棲家」と「雛の宿」

佐伯一麦の「雛の棲家」は、「海燕」1987年6月号に発表された短篇で、同名の単行本(福武書店、1987年)に収録された。宮城県随一の進学校に通いながら大学進学の道を捨てた童貞の主人公が、自身が思いを寄せる、誰の子か分からない子供を出産した女を助け、三人での生活を始める話である。

題名の「雛」という語は、直接的にはヒヨコのことだが、誰の子か分からない赤ん坊のことを暗に指してもいる。

「雛の棲家」というタイトルは、三島由紀夫の「雛の宿」という短篇を意識してつけられたことが、『からっぽを充たす』(日本経済新聞出版社、2009年)の「雛の宿と美しい星」を読むと分かる。

 私が、三島賞を受けたときに、授賞式でこんなスピーチをした。「自分のように、私小説私小説と言い続けている者には、唯美主義的な立場に立った三島由紀夫の名を冠した賞はそぐわないという声もあるが、僕の最初の単行本である『雛の棲家』という題名は三島氏の「雛の宿」という短篇を意識してつけたものだし、『仮面の告白』は、僕の年代から言えば私小説と読める作品で、いまだに大きな刺激を受け続けている。その意味では、他人がいうほど奇異なとりあわせではないと思っている。

三島の「雛の宿」は、初出は「オール讀物」1953年4月号で、現在は『女神』(新潮文庫、1978年)で読むことができる。

こちらの「雛」は雛人形のことで、主人公の男がパチンコ屋で出会った少女の家に行き、一夜をともにする話だが、言ってみれば通俗であるものの、雛壇の細緻な描写がすごい。佐伯はこの短篇を三島の作品の中で偏愛しているらしいが、雛人形とヒヨコではまるで違う。「雛の棲家」との共通点といえば、主人公の男が冒頭の時点では童貞ということくらいか。

「雛の棲家」は、佐伯の作品群を一つの世界と考えると、時系列において「静かな熱」や『ア・ルース・ボーイ』とつながっている。『ア・ルース・ボーイ』には「雛の棲家」と似たようなシーンもある。

佐伯は三島賞発表号である「新潮」1991年7月号の「受賞の言葉」で、『ア・ルース・ボーイ』はどうしても書き上げたい小説だった、と書き、これまで発表した短篇は不満だったとも書いている。「小説家というものは、何度でも同じ傷を書く」とも述べている。「雛の棲家」は『ア・ルース・ボーイ』を書くために必要な修練だったのかも知れない。