いくたりかの知人が充実した青春時代を送っていたことを知り(少なくとも私からはそう見えた)、気が沈んでしまった。
知人たちがそれぞれ、学生時代とか独身時代に世界の各地を旅し、未知の世界を自ら開拓した喜びを全身で表しているような姿の写真を、いくつも見たのである。こいつらの人生、かなりのリア充じゃねえかよ…と思わず考えてしまい、嫉妬と、我が身の情けなさを思って気が沈んだ。。
私も大学時代に一回だけグアムへ旅行したことがある。とはいえ、まぁ誰もが行くような観光地を少々回っただけのことで、ツアーだったし、自ら旅程を組んで出掛けていき現地の人と話したり交渉したりしたわけでもなかった。
以前このブログで書いたが、私は学生時代に自我の危機に陥り、一日も早く藝術家としての自我を確立させたいと焦燥に駆られて、やがてこじらせてしまった。これは青春期以降、今に至るまで私の人生に影を落としている大問題で、これを解決しないことには人生明るくならないのである。
そういう、谷底を一人で歩いているような私にとって、人生はすでに単純な「楽しいもの」ではなくなっているような気がする。もちろん、生活の中で単純に「楽しい」と感じる瞬間はある。けれども、人生が充実するとすれば、それはやはり上に述べたような青春期からの悲願を成就させた時だろう。そこに辿り着くには執念みたいなものが必要で、それを日々の生活を送る中の奥深くで燃やしている状態だ。たとえ悲願成就したところで「イェー!」とはならないんじゃないかな。。