杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

「苦しみのアブラ汗」

司馬遼太郎『ビジネスエリートの新論語』(文春新書、2016年)の「あるサラリーマン記者」の冒頭に胸を打たれた。

 私は、新聞記者(産業経済新聞社)である。職歴はほぼ十年。その間に、社を三つ変り取材の狩場を六つばかり遍歴した。
 むろん最初の数年間は、いつかは居ながらにして天下の帰趨を断じうる「大記者」になってやろうと、夢中ですごした。まったく青春をザラ紙の中で磨り減らした観さえあった。しかし、コト、ココロザシとちがって、駈出し時代の何年かはアプレ記者と蔑称され、やや長じたこんにち、事もあろうにサラリーマン記者(!)とさげすまれるにいたっている。

「まったく青春をザラ紙の中で磨り減らした観」…生意気ながら、私も十年以上ライターを続けてきて、「まったく二十代から三十代の溢れんばかりのエネルギーをキーボードに叩きつけて消耗した観」がある。かつては、藝術家になりたいと思っていたのだ。

「あるサラリーマン記者」は、復員した司馬が同じく復員学生の「O」と入社した二つの新聞社での騒動の経緯を書いている。記者ながら商才のあるOの行動の仕方が面白い。

司馬とOが勤めていた新聞社はツブれるが、そういう時、勤め先をなくした記者を他の新聞社が拾い上げる「美習」が、戦後の一時期の新聞界にはあったようだ。しかしその後、新聞社は新卒採用した社員を社の組織と体質に合うよう規格化するようになった、実力があっても秩序の良い部品になれない者は無用の存在だと、司馬は述べている。

今、私は令和をライターとして生きているが、どうも司馬が書いたような業界の雰囲気が、ぜんぜん別時代のこととは思えない。

最後に司馬はこう述べている。

時代は、新聞記者に対して良き意味でのサラリーマン記者たるよう要請している。野武士記者あがりの私なども、昭和二十三年春現在の社に入って以来、記者修業よりもむしろその点にアタマを痛めることが多かった。しかし、スジメ卑しき野武士あがりの悲しさ、どうも無意味な叛骨がもたげてくる。そいつを抑えるのに苦しみ、苦しんだあげく、宮仕えとは、サラリーマンとは一体何であろうかと考えることが多くなった。その苦しみのアブラ汗が本書であるといえばいえるのである。

「苦しみのアブラ汗」。う~む、ぐッとくるなぁ。作品というのは押し並べて「苦しみのアブラ汗」なんだろうな。

ちなみにこのブログも、私の「アブラ汗」そのものだ。