杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

ネタは決して離さない。

佐伯一麦の短篇「二十六夜待ち」は、河北新報の記事に想を得て書かれた小説である。そのことは、『月を見あげて 第二集』(河北新報出版センター、2014年)の「新聞記事の効用」に書いてあるのだが、『からっぽを充たす』(日本経済新聞出版社、2009年)の「ぬか雨のたたずまい」を読むと、永井龍男が短篇「青梅雨」を、地方版の記事にヒントを得て書いたことが紹介されている。永井の、記事にヒントを得てから小説を書き出すまでの手順が面白い。

日頃から興味を覚えた記事を切り抜いておき、ああでもないこうでもないと想像をはたらかせて一篇の骨組みが出来上がったものをすぐには執筆せずに、一年二年と寝かせておいて切り抜きが変色して黄色くなった頃にようやく取りかかる。「青電車」「一個」「冬の日」などの名品もそうして書かれた。

骨組みが出来上がったら、書き出すまではもうあと数歩だと思うが、永井はそうはせずさらに一年から二年寝かせるということである。すごい。よくそこまで辛抱強く熟すのを待つもんだ、と思う。とはいえ、私は構想を練り始めてとうに十年は過ぎた未着手の作品がいくつかあるが…

佐伯など、「二十六夜待ち」の元になる新聞記事を見つけたのは16年前だと『光の闇』(扶桑社、2013)年に書いている。生意気ながら、それはちょっと理解できる。作家は、いちど摑んだネタを決して離さないのだ。