杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

「余生の何を楽しむんですか」

BS1スペシャル「三島由紀夫×川端康成 運命の物語」を見る機会があった。

三島と川端がなぜ自殺したのかとか、私は二人を研究しているわけでもないし、あまり興味がなかったのだが、番組を見ていて、感銘を受けるというか胸に響いてくるところがあった。

宮本亜門が三島と川端を知る人物にインタビューをしていて、その一人である瀬戸内寂聴に番組の終盤、小説家の生き方について聞いている箇所がある。瀬戸内はこう答える。

(三島や川端は)人間の生涯として小説を書くことを選んだんですから…選ばれるんじゃない、選んだんです(中略)それは命を懸けていますよね(中略)作家には余生を楽しもうなんてないんじゃないですか、本当の作家なら。死ぬまで作家だったらね。余生の何を楽しむんですか。書けるから「空も青いな」と思うし「木も育ったな」と思うんでね。すべて書くためです。

生意気ながら、こういう「物書きの精神」とでもいうべきものは理解できるし、共感もする。谷崎潤一郎は「書けなければこの世に用はない」ということを言ったらしいが、物書きとはそういう生き物で、文章を書く仕事に血道を上げた時点で、生きている実感だとか楽しみだとかいうものはほとんど「書く」行為に収斂されるのではないかと思うのだ。

体とか脳が動かなくなるとかとは別に、物書きは書けなくなった時点で死ぬのだと思う。