杉本純のブログ

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佐伯一麦と徳田秋声2

佐伯一麦八木書店の『徳田秋聲全集 第25巻』(2001年)の月報に、随筆「暮れに読む『新所帯』」を寄せている。ちなみにこれは「あらじょたい」と読み、正しい漢字は「新世帯」であるはずだ。

「暮れに読む『新所帯』」には、佐伯が秋声文学に親しむようになった経緯が冒頭に記されている。最初は、中上健次野口冨士男について書いた文章に触発され、野口の『かくてありけり』を読み、野口から秋声へと関心が広がっていったようだ。野口は秋声伝を書いている。

佐伯は野口の「なぜ、秋聲か」というエッセイに触れて、秋声文学はプロレタリア文学の危機や、戦争、対象を見失った模索の時代、などの危機状況に限らず、「個人の危機」が訪れた時にも再燃する、と述べている。この辺り、私はちょっと読解に苦しむ。なお「なぜ、秋聲か」というのは、引用されている文章からして、野口の『文学とその周辺』(筑摩書房、1982年)所収の「なぜ秋声か」だろうと思う。

「なぜ秋声か」は、和田芳恵私小説を紹介しつつ、和田文学の祖先に秋声を見出すことができることを、様々な資料から類推して述べたもの。そこには、和田は死ぬ三年余り前から良い作品を生み出して人気作家に上り詰め、丸谷才一が書いていた朝日新聞の「文芸時評」がその導火線の役割を果たした、とあり、面白い。

さて佐伯は、中上、野口を経て秋声の文学に出会い、「新世帯」を毎年大晦日に読んでいた(今も読んでいるかどうかは分からない)。それは、「新世帯」が、子供ができて所帯を持った自分たちの「新所帯の原型と読めた」からである。

その頃から、佐伯は都会の底辺めいた環境で肉体労働に従事し、健康も損なって大変な状態が続くのだが、毎年「新世帯」を読む中で、自身の状況に応じた色んな読み方をして、様々な感慨を味わったようだ。

佐伯は秋声文学について、

 総じて、秋聲の作品から私が受けるのは、靴底にざらつく三和土の感触である。

と述べている。三和土とは、秋声の1933年の短篇「町の踊り場」に出てくる、主人公が踊りを踊る「タタキ」(床)のことだ。そして、

今日でも人は、家庭内の鬱屈を紛らしに外出するとき、または世間の塵労と共に帰宅するときも、靴底にタタキのざらついた触感を味わっているはずだ。

と書いている。

「町の踊り場」は「経済往来」に発表されたものが初出で、私は文藝春秋『日本の短篇』(1989年)で読んだ。主人公の作家が姉の葬式のために故郷に戻り、しばらく滞在した間のいくつかの出来事を綴った作品である。あまり面白くはないのだが、『日本の短篇』の解題によると、主人公が、葬儀に際してまとわりついてくる身内の煩わしい諸事情から自分を解き放つように、「町の踊り場」に出掛けていくところが読みどころだという。「甘ったるい故郷への同一感をかたくなに拒んでいるような〈私〉に、逆に異常な郷愁がにじみ出ているところが面白いのである」とある。

佐伯が見出した「タタキ」の触感とは、家庭の煩わしさからいっとき解放してくれるもの(かといって、仕事ではない)の象徴ではないか。

平べったく味気ない日常にがんじがらめにされていても、地道に怠ることなく進んでいくことで、その先に解放の光も見えてくる。佐伯は、秋声の徹底したリアリズム、ないし自然主義文学の在り方に、自分の生き方を見出していたのかも知れない。

佐伯は「暮れに読む『新所帯』」の最後の方で、「木を接ぐ」の中にも三和土が出てくる、と書いている。「木を接ぐ」では最後に、寿司屋から帰ってきた主人公が、部屋の三和土にサラ金のチラシとポケットティッシュが入った白い封筒が落ちていて、それを抛り捨てるところがある。