69人の無名時代
文藝春秋編『無名時代の私』(文春文庫、1995年)を読んでいます。文字通り、有名人が自分の無名時代について語ったもので、初出は「別冊文藝春秋」1990年新春特別号から1992年春季号。
寄稿者は深田祐介、池澤夏樹、妹尾河童、高森和子、三國一朗、金子信雄、三好徹、黒井千次、三井永一、黒川清司、唐十郎、荒川洋治、逢坂剛、西木正明、尾辻克彦、阿部牧郎、畑山博、佐木隆三、菊地信義、赤江瀑、古山高麗雄、白石一郎、澤地久枝、髙樹のぶ子、ねじめ正一、飯尾憲士、立松和平、高橋揆一郎、夏樹静子、村田喜代子、枝川公一、保阪正康、藤堂志津子、笹倉明、尾崎秀樹、大庭みな子、林京子、中野孝次、中村正䡄、皆川博子、三木卓、砂川しげひさ、内田春菊、中野翠、南木佳士、山田智彦、赤瀬川隼、辺見じゅん、秋山ちえ子、長部日出雄、陳舜臣、永井路子、田辺聖子、藤本義一、奥野健男、中村真一郎、野口冨士男、辻邦生、木崎さと子、井上光晴、光岡明、塚本邦雄、阪田寛夫、小川国夫、伊藤桂一、小松伸六、夏堀正元、久保田正文、吉村昭。
可笑しく、切ない
気になる作家のみ、いくつか読んでいますが、野口冨士男がいい。
最初の方には「近代日本文学史百年で、私ほど長く蹴つまづいて再起した人の数は片手でかぞえられる程度だろう。」とあります。
慶應学生であったものの「三田文学」には入らず、かといってプロレタリア文学にも行かず中途半端だったことや、私小説の「元祖ともいうべき作家」(徳田秋聲)の年譜の誤謬訂正から伝記執筆に進み、深入りして十五年の歳月を費やしたこととか…可笑しくも切ない。
後半には野口自身が文学事典の複数の項目を担当しながら、その項目に実作者としての自分の名はなく、文壇では作家扱いされていないかった、とあります。この悲しさ。
不徹底で中途半端かというと、そうではなく、実は正直で真摯だったように思うのです。