杉本純のブログ

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創作雑記5

手綱捌き、という言葉で表現すれば良いだろうか。小説中の人物の心の動きや、場面の空気の流れというものに、作者自身が動かされてしまっては駄目で、逆に人物の心や場面の空気を上手く操らなくてはならない。これはまぁ、当然のことだろう。たしか三田誠広が、演歌歌手が自分の歌う演歌で泣いてしまってはいけない、などと言っていたと記憶しているが、それに近いことだ。

分かっているつもりではあるのだが、けっこうこれが難しい。ついこないだも、ある切迫した状況を作ってそこで主人公を動かしたら、その主人公が焦燥に駆られてきて、つられて私も焦りだしてしまった。

これは良くない。場面が盛り上がる気配を見せたからといって、その空気に流されてしまうのは愚かだ。小説は主人公と環境(他人を含む)とが響き合うものだろうから、場面の変化に応じて主人公の考えや行動に変化が生じるのも当然だろう。そして、その状況の勢いに乗っかる方が、筆はよく進んでくれると体験から思う。しかしその結果、主人公があらぬ方向へ行ってしまって、それ以前の心情とつながらなくなった、なんてことがけっこうあった。挙句の果て、該当部分もしくはそれ以前まで引き返して書き直す羽目になったこともあった。

それはやはり、あちこちに目移りしてしまっていて、気が向いたらそっちへ突っ走ってしまう能天気さが良くなかったのだろう。

書こうとしている話を肚に据え、主人公像と筋を頭に入れた上で道を進んでいかないと、馬はすぐに道を外れてどこかへ走っていってしまう。手綱捌きが重要だ。

別の言い方をすると、地図を頭に入れ、目的地と現在地点と行程をしっかり把握して進むべき、といったことか。もちろん、目的地に進む過程で風景を楽しんだり、休んだりするのは構わない。けれども、例えば珍しい動物が出た、美味しそうな果物を見つけたなどといって、進むべき道を忘れてホイホイそっちへ行ってしまうのはよろしくないだろうと。